2008/11/25 (火) 09:51:22        [qwerty]
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日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人

も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。

『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、

獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。

ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、

日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。


キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、

その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。

肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷
らの国にまで転売されていくのを正視できない。

鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、

もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。

ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者
の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬
一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キ
リシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

そして、「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、

武カの格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。

英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、

王権に訴えてこれを阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、

そして差別を土台としているかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416〉と説明して、

売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。


これらの経過を見れば、ポルトガル、スペイン両国の侵略政策の尖兵として、
宣教師が送られて来たという事実を認めるほかないでしょう。これらの疑問は
豊臣時代だけでなく、徳川時代300年の間においても、キリシタンは危険であ
り、キリシタンになればどんな残酷な迫害を受けるかわからないという恐怖心
を日本人全体に植え付けることになり、キリスト教の日本への土着化を妨げる
要因になったと言えるでしょう。(後略)

◆バテレン追放令 2002年7月9日 北國新聞

もう1つの国内向けとみられる法令は11カ条からなっている。

一条から九条までの内容は

▽キリシタン信仰は自由であるが、大名や侍が領民の意志に反して改宗させて
はならない

▽一定の土地を所有する大名がキリシタンになるには届けが必要

▽日本にはいろいろ宗派があるから下々の者が自分の考えでキリシタンを信仰
するのはかまわない―などと規定する。

 注目すべきは次の十条で、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止。

十一条で、牛馬を屠殺し食料とするのを許さない、としていることである。

 以上の内容からは▽右近が高槻や明石で行った神社仏閣の破壊や領民を改宗
させたことを糾弾

▽有力武将を改宗させたのはほとんどが右近によってで、右近に棄教をさせる
ことで歯止めがかかると見た

▽バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。

秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。

 さらに重要なのは、日本の民と国土は、天下人のものであり、キリシタン大
名が、勝手に教会に土地を寄付したり、人民を外国に売ることは許されないと
いうことである。天下統一とは、中央集権国家の確立にほかならない。キリシ
タンは、その足元を乱す、かつての一向宗と同じ存在になる危険性があると秀
吉が感じていたことがわかる。

 「バテレン追放令」は、キリシタンが対象であるかのように見えて、実は日
本が新しい時代を迎えるため何が課題かを暗示する極めて重要な出来事だった
のである。