2005/07/17 (日) 04:38:16        [qwerty]
基礎的な生活圏(リアル・ワールド)で、異性に対し受動性しか持ち得ない鑑
賞者の日常は、仮想的な生活圏(物語)においても反映されなければならない。
そうでなければ、その物語は実存性を失ってしまう。どの世界にせよ、その鑑
賞者にとって、おねいさま(女の子)は、「どこからかやって来て、そして、
どこかへ去っていく」ものである。

いわゆる“メイド”概念は、その人格と主従関係を持つだけで制限無き好意を
受容できる幻想から生まれた。鑑賞者の概念空間内での人格である物語内のヘ
タレが、異性の凄まじい好意を買う情景は絵空事である。しかし、その異性が
メイド人格であれば、凄まじい好意を被っても仕方がないではないか。もち
ろん、それも基礎的な生活圏ではあり得ないことだが、「でもひょっとしたら
無いこともないんじゃないのかな~」と思わず考えてしまう微妙な信憑性が、
“メイド”概念を成立させていると言えるだろう。

この“メイド”概念は、さらに“妹”と言い換えることができる。血縁関係に
よって、異性と共存在できる宿命的な受動性は、「ヘタレもてもて」物語に、
強烈な説得性を与える。妹だから無制限に愛されても仕方がない。物語の実存
性に関するこの奇妙にもっともらしい幻想は、やがて、世界中のお兄ちゃんと
しての鑑賞者たちを、奈落の底に突き落とすことになった。

ヘタレが異性の好意を被る物語は、説得性にかける。しかし、もしその相手が
メイドや妹であるならば、好意を買っても不思議ではあるまい。ヘタレが鑑賞
者の多くを占めるギャルゲーとその周縁の物語において、妹・メイド人格が多
用されている現状は、“ヘタレらぶらぶ”状況の納得ある成立が、求められて
きたことの帰結である。

では、これらの人格以外に、ヘタレが熱狂的な愛を受けても不思議はない対象
はいないのだろうか。我々はそれを、この物語に発見した。白痴である。