2009/01/12 (月) 08:12:58        [qwerty]
「あなたに私の痛みが分かりますか?」。NPO「東京自殺防止センター」のボランティアたちが、
電話で相談してくる人(コーラー)たちから突きつけられてきた問いである。

 痛みは極めて主観的なものだ。コーラーの苦悩に重なる体験があったとしても、他者の痛みを安易に理解できるものでないことを、
ボランティアたちは体験の中で学んできた。加えて、体と心の痛みは複雑に絡み合い、そのありようは時代状況や社会環境などに
左右される。事実、不治の病を告知された人々や、失業して路頭に迷う人々の苦しみは実に多様だ。

 「体の痛みは医学の進歩で過去10年間でかつてなく改善されたが、薬では解決できない心の痛みがある。
それは患者と向き合い、受け止めようと努める中でしか活路を見いだすことはできない」。これは、横浜で
ペインクリニックを開業する医師の言葉だ。片や、年末年始に東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に
はせ参じたボランティアは言う。「ワークシェアリングというものは、国民全体で痛みをシェアするという
意識が生まれない限り実現は難しい」

 なのに、派遣村に関して坂本哲志総務政務官は「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」と発言した。
自ら当事者たちと向き合うこともせずに発した貧困な物言いである。

 自殺防止の電話に私が一人のボランティアとして、年越しの電話番に入るようになって5年。
殺到する電話に接して、フランスの批評家、モーリス・ブランショの言葉を思い出す。

 <痛みとともに(人は)考えることを学ぶ>(社会部)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20090111k0000m070096000c.html