2009/02/22 (日) 18:26:45 ◆ ▼ ◇ [qwerty]「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。
「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、
悪い夢を見た。君が若(も)し私を殴ってくれなかったら、
私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯(うなず)き、
刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。
殴ってから優しく微笑(ほほえ)み、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。
私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。
生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、
私は君と抱擁できない。」
メロスは腕に唸(うな)りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、
それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。
暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、
まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、
顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶(かな)ったぞ。
おまえらは、わしの心に勝ったのだ。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、
わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
ひとりの少女が、緋(ひ)のマントをメロスに捧げた。
メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。
この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、
たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。