2009/03/14 (土) 04:43:48        [qwerty]
経済の停滞と共に前近代的な父権制度の復古を求める反動的な言説が巷間に溢れるようになって久しい。才能の
枯渇した腐れ学者や痴呆化した漫画家などが著した書物は書店に行けばいつでも平積みコーナーに見いだすこと
ができる。相田みつをのような俗情と結託することしか知らない何の思弁的性格も有しない癒しのメッセージは
これでもこれでもかとメディアを飾る。そこに現れてくるのは家族の絆こそ絶対でありその有難味と意義を反芻
してこそ社会的紐帯の秩序は保持されうるのだというどこかで聞いた血と大地のリフレインである。そこには秩
序の回復が何より重大であり他のことはどうでもいいという袋小路に陥った現在の日本の経済状況の暗愚が反映
されている。だがもしも近代が生み出した様々な装置・概念の中で最もおぞましいものを3つ示せと私が問われ
るならば迷わず国家民族家族を挙げるだろう。法哲学におけるヘーゲルのあの吐き気を催すほど気味の悪い阿世
の弁証法によって三位一体を構成するこの三要素はまぎれもなく人間を完膚無きまでに圧制の下に組み敷く。 K
eyが昨年発売したゲーム Kanonにはこの悪夢ことに血縁家族に対する無抵抗の告発と弾劾があたかも朝霧これは
タイトル画面で流れる曲のタイトルでもあるのように繊細で幽眇な物語世界のなかに秘められている。そしてそ
の悪夢を終わらせるにはということも。その点でこの作品は主人公の悪夢を終わらせる話であると同時に我々の
生における現実が持つ悪夢からどのようにすれば飛翔することができるのかという示唆も与えている。記憶に還
るというこのゲームのコピーはこの物語が主人公の忘却を覗くものであると同時に我々が家族という悪夢のなか
に抑圧し忘却したことにしていた様々な悲しい身を引き裂かれるほどの絶望と苦悩の事実に直面することを求め
るということも意味しているのだ。従ってこの作品の中では血によって締結・連結された家族という機構は本質
的に個人に傷を負わせその心を徹底的に踏みにじるものとして位置づけられる。例えば月宮あゆのシナリオでは
母親の死・父親の不在という事態が彼女に救いようのない孤独感と絶望を与えていることが語られるし倉田佐祐
理のシナリオでは家庭特に有力政治家である父親が彼女に厳しい姉としてのロールプレイを要求しその結果とし
て彼女が弟の死によって自らを追い込み手首を切るという自殺未遂に至る経緯が述べられている。他にも美坂栞
のシナリオでは彼女がリストカットをしたときにそれを止めるあるいは共同でそれを癒そうとする家族の存在は
ないし彼女の姉香里は妹栞の存在を黙殺している。川澄舞の場合は彼女の精神的な破綻を救うべきであるはずの
母親の介在は中途から極端に抹消されている。また本作中最も完成度の低い水瀬名雪のシナリオにおいてすら父
親の不在という事態が彼女の人格形成について退行の影を落としていることが明らかになる。このように本作の
ヒロインは皆全てその生の出発地点において精神を徹底的に壊されている。家族機能研究所を主宰する精神分析
医斉藤学氏はかつてアダルトチルドレンという概念を提起して当時社会現象ともなっていた新世紀エヴァンゲリ
オンともリンクして大きな話題を呼んだが Kanonにおける登場人物がうぐぅやうにゅなどの幼児語を使うほどま
た好きな食べ物もほとんどがお菓子の類であるように極めて精神年齢が低く造形されていることはこの事と無関
係ではない。即ち身体は生物として日に日に成熟していくのにも関わらず精神はその出発点において破壊されて
いるがためにまったく成長できないのだ。むしろ幼児期を自らの手で幸福という幻影を連れて無限に反復しなけ
ればならないほど彼女たちの精神風景は荒廃しているのだ。ひとりぼっちでのフォルト・ダーの遊びが収束する
ことなく彼女たちの中では今も行われている。それはなぜか。それは家族という悪夢が現在もなお彼女を取り巻
く生活世界の中で進行し展開されているからだ。いやむしろその絶望の圧迫により日に日にその幼児期への緊急
避難は加速していくことになるだろう。例えば川澄舞が自らの行動にますます異常性を加えてゆくのは誰も彼女
の内部にうずくまる危機に瀕した子供自らを確認するために自らを傷つけて満身創痍になっているその哀れな影
の絶叫を聞き取ってやることがないからなのだ。しかし彼女らはだからこそ救いを求める。微かに垣間見えた奇
跡の波動に全身全霊を傾けてすがりつこうとする。飢えた獣のように彼女らは自らの修羅を振り払おうともがく
。その姿は尋常ならざるほどの狂気の姿を帯びるものと普通の人々の目には映る。恐らくこのヒロイン達の極限
の哀願を感受できるか否かがこの作品に対する賛否の分かれ目になると私は思うのだ。そして私はこの激しい叫
哭に感応した側の人間である。ところがその奇跡の物語はにせものに降臨することになる。失われた一家団欒言
葉を媒介せずともそのインナーチャイルドをくるむことができる人間関係。多くの普通の場合家族というユニッ
トの中でまず最初にその有り様が現れるはずのこのような関係は Kanonの中では常に血縁関係が全くないあるい
は希薄な人間同士のにせものの家族関係の中で辛うじてあらわれる。各ヒロイン達ははじめて本当に生まれて初
めての関係の存在をそこに認識するのである。水瀬家という父親不在の奇妙な機能不全家族という環境の中で月
宮あゆ沢渡真琴ははじめて人間の優しさいたわり思いやりといったもののぬくもりの中でようやく怯えない関係
が存在するということに気付くのでありその結果沢渡真琴は廃人同然になってまで水瀬家の一員であろうとする
。また川澄舞は倉田佐祐理と主人公3人での昼食正確にはエピローグで語られる3人での疑似家族での共同生活
において自分が安心して受け容れられている場があるということに気づき美坂栞は中庭で主人公に買ってきて貰
ったアイスクリームを食べて自分の存在を黙殺しない兄がいることを知る。即ち栞が寒い中庭で長い間主人公を
待っているのは単なる恋愛感情からではないのだ。自分がこの世界にいるという実感をようやく持たせてくれた
細い細い絆をあと僅かしかない自分の生を燃やし尽くすように握りしめ抱きしめていたいのだ。その一方彼女を
黙殺していた姉香里は栞の死期が近づいてようやく彼女は自らが栞の姉であることを再度人為として選び取る。
沢渡真琴の主人公に対する奇妙な行動もそのざらつきとじゃれ合いのなかで自分の存在を正面から受けとめてく
れている人間がいるという事実を感覚の全てを使って抱きしめていたいのだ。そして月宮あゆはかつて自分を何
の打算もなく好意を持ってくれた唯一の存在が主人公であるというその想いが彼女の存在そのものを生み出すこ
とになっているのである。その点からすれば川澄舞の物語終盤における不可解な行動には合点がいく。彼女は最
後の最後まで自分の絶望を主人公が共にしようとしているということに気付かないでいる。ひたすら自分の悪夢
を追い払うために見境なく暴れ自傷行為でもある怪異打倒に半狂乱になって奔走する。だがしかしその土壇場で
彼女は主人公が彼女の真の苦悩が何であるのかを思い出してくれたという事実にさらされる。だからこそ彼女は
切腹するのだ。自分を理解しようと共に傷を負いながら隣にいてくれた人の気持ちをそれまでまったく分かって
いなかったから彼女はそれまでの自分を全て清算するために自らの現在の生そのものを否定しようとするのだ。
何の衒いも後ろめたさもなく何ら義務に依るものでもない本当に何にも根拠を求めない新しい生を彼女は求めた
のだ。それほどまでに彼女は生きることに疲れ切っていて真に宥和した新たな命のためにそれをかなぐり捨てよ
うと自刃したのだ。そのように彼女らは文字通り自らの命を懸けてこのにせものの関係をつなぎ止めようと抵抗
するあるいは決断して選び取るこの点から言えば名雪シナリオの完成度が低いのは致し方がない。そのために栞
は恐らく寿命を縮め沢渡真琴は最後は自我すら消滅してしまうほどの痴呆になり川澄舞は切腹し月宮あゆはその
にせものの価値を永遠にするために自分が忘却されることを願うのだ。しかしだからこそこのようなにせものの
家族関係は血縁の必然性という暴力=現実を越えて奇跡を呼び起こす。月宮あゆが名雪と栞の物語においてそし
て何よりも自らの物語において奇跡を起こすのは彼女が水瀬家におけるにせものの家族関係の中で自らのインナ
ーチャイルドを癒し自分の幼児性に耽溺することなく他者をほんとうの世界を指向しようと彼女自身が自らの心
に奇跡を起こしたからなのだ。舞が卒業式の日に佐祐理と主人公に代わる代わるチョップを振りかざす姿はかつ
て自分自身を滅ぼすために振りかざしていたその力を自分を理解しようとたとえ自分のために傷だらけになろう
ともしてくれた人たちに対する信頼というコミュニケーションに転化させたことの証なのだ。この地点でにせも
のはほんとうを再生させる。何ら必然性や義務性を持たないにせものの家族関係は他者というほんとうを各ヒロ
インの心の中に奇跡を起こすことで再生させる。 Kanonはにせもののほんとうである家族の悪夢を告発した上で
ほんとうの関係の再生への淡い期待と願いその奇跡への祈りを込めた人々の連なり Kanonの物語なのである。だ
から私はこのあと拙い言葉を少しばかり継ぎ足そう。本来人と人とのつながりなんてものはそのはじまりにおい
てにせものでしかないのだと。そしてそれをほんとうにしていくのは私たち自身の心の中に起きる小さな小さな
奇跡のつらなりに他ならないのだ、と。              左大臣 http://www.tunnel-company.com/

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