二極化する労働者の世界で、森永卓郎氏が「年収300万円の層」として表現 する人々(転職が当たり前で会社への忠誠心から「自由」な人々)こそ、契約だけに 縛られ、だから成果主義評価にも馴染む人々なのかも知れません。そして彼らこそが、 この「豊かな世界」の中で、家族共同体からも封建的な共同体からも、もしかしたら 民族や国家や「団結せよ万国のプロレタリアート」といった階級史観からも、しなや かに自由な、語の真の意味の「資本主義者」なのかも知れません。