>  2009/07/10 (金) 14:45:22        [qwerty]
> > 最近上海はアニメネタが微妙に頻度下がってる気がする(;´Д`)
> さすがの糞オタも毎度似たようなのばかりで飽きてきてるんでは(;´Д`)

志村貴子が一連の作品でえがこうとしているのは、
セクシャリテの連続スペクトルなのだろうと思う。

人間の性とは、四つぐらいの分類箱に入りきるものではないし、おまけに、
生きている以上それは常に揺れうごき、ある中間点から別の中間点へと唐突に跳躍しうる。
そのあらゆる可能な相のなかには、当然、法に触れるもの、社会的タブーに触れるもの、
個人が設定した許せない条件に触れるものなどがある。
しかしこれが実情であり、そして結局は、自然でうつくしいのだと主張しようとしている。

みずからの性の置きどころに悩むその登場人物たちがあまりに若いのも、
同姓間の恋愛や性倒錯、あるいは近親間での性的禁忌がテーマになるのも、
すべてその、セクシャリテの連続スペクトル、
言いかえるなら「性の虹」をえがき出すために、必然的に選択された類型とみている。

参考:2009/07/10(金)14時40分52秒