2009/07/18 (土) 20:39:59 ◆ ▼ ◇ [qwerty]平川哲生
>迷ったが、小説『アインザッツ』について、少しだけ書いてみる。主に文章に注目した。
>内容には触れないのでネタばれにはならないと思う。
>「新緑」が七月では季節がずれている。文学的うんぬんというなら、たとえば「瑞葉」くらいの言葉が良いのではないか。
>また続いて「生い茂る樹々から零れ出る」の部分は、最後を「零れる」にした方が良い。
>このようなリズム感のない文は、著者に古語・漢文の素養がないことから生まれていると思う。
>地面の陽だまりに「革靴が飛び込み、その都度光の滴が四方に弾け飛び」とあるのに、
>数行後では「決して軽やかとは言えない足取りでとぼとぼ進んでいた」では、動作の描写がちぐはぐでつながらず、
>読者の頭の中の像が混乱してしまう。同様に「真紅の扉」→「薄い真紅の扉」も順番を逆にするべきだろう。
>「ガタ、と乱暴な音をさせ、建て付けの悪さを証明するかのように扉が閉まった」は失敗した翻訳文のようだ。
>これは「建て付けの悪い扉が閉まった」で良いのではないか。それにしても助動詞「ように」が多すぎる。
>「その真紅に興奮した闘牛のように、彼の表情がやにわに険しくなった」は意味不明。頭の「その」は何だろう?
>おそらく前文と合わせて「その真紅に興奮した闘牛のような扉をじっと睨んだ。彼の表情がやにわに険しくなった」ではないか。
>蛇は性器や性を象徴し、蛇殺し・竜殺しは去勢の意であるとも言われる。
>しかしこの小説では「猛蛇は去勢されたように」と、蛇そのものが去勢されてしまう。
>爬虫類にも交尾器はあるので、不可能ではないが、去勢という言葉は哺乳類にたいして使う方が自然だと思う。
>このユニークとも言える「猛蛇は去勢されたように」の数行前には「その猛蛇が生気を抜かれたように」とある。
>どちらか一方だけで良いのではないか。
>ほかにも気になる文章はいくらでも見つかるが、きりがないのでやめておく。
>小説『アインザッツ』は編集者による校正をうけていないように感じる。
>たとえば「!」と「?」の後の一字空きスペースが抜けている部分もある。
>これはテキストファイルならば置換ですぐに修正できる。
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