2009/07/26 (日) 14:38:59 ◆ ▼ ◇ [qwerty]被爆治療83日間の記録 NHK取材班(岩波書店)
被爆-1999 年9 月30 日
・バケツで七杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し始めたとき、大内は
バシッという音とともに青い光を見た。臨海に達したときに放たれる
「チェレンコフの光」だった。その瞬間、放射線の中で最もエネルギー
の大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた。被爆したのだった。(2
頁)
・被爆医療の専門家として歩み始めた前川は、前日の情報交換会で、原
子力関連施設周辺の病院の医師や医療スタッフに被爆医療の知識が徹
底して教育されていないことをあらためて思い知り、驚いていた。(6
頁)
・前川には、症状や緊急の血液検査の結果などから見て、運び込まれた
三人のうち、大内と同僚の二人が非常に高い線量の被爆をしたものと考
えられると話した。また三人が放射性物質を浴びていないことや、大内
の吐しゃ物を分析した結果、ナトリウム24 が検出されたことから、中性子線による被爆、つまり「臨界事故」
だと確信していると伝えた。(9 頁)
邂逅-被爆二日目
・まったくコントロールがきかないうえ、放射線を閉じ込める防護装置もない「裸の原子炉」が突如、村の中
に出現したのだった。この事態に、東海村は事故現場から350メートルの範囲の住民に非難を要請、茨城県
も半径10キロメートル圏内の住民約31万人に屋内退避を勧告した。
・8シーベルト以上の放射線を浴びた場合の死亡率は100 パーセントだ。染色体検査などの結果から、最終
的に大内の被爆量は20シーベルト前後とされた。これは一般の人が一年間に浴びる限度とされる量のおよそ
二万倍に相当する。・・・・・体を細菌やウィルスなどの外敵から守る白血球のうち、リンパ球が激減してい
ることが報告されたのだ。(12 頁)
・前川は大内の様子に一瞬目をみはった。どこから見ても重症患者には見えなかったのだ。・・・・・浴びた
放射線の量は減り続けるリンパ球などのデータとは関係なく「命を救えるのではないか」と思いました。(14
頁)
・私は「負け戦ですよ」と考え直すよう説得しました。・・・・・・どう考えても現在の医学で大内さんを救うこ
とはできなかった。・・・・・・医者が患者を死なせてしまうことはどんなことがあっても不名誉なことです。
その不名誉を敢えて背負ってでも助けたいと思っているのだから、そう言われると、あとは協力するしかあり
ませんでしたね。(15 頁)
・大内の症状はすでに悪化の兆しを見せていた。尿の量が少し減り、血液中の酸素濃度が下がったため、酸素
吸入などの治療が始められた。腹も少し張ってきていた。腸に障害が出始めたのかもしれなかった。(16 頁)
転院-被爆三日目
・大量の放射線に被曝すると、体の中でも細胞分裂の活発な部分、つまり細胞が次々と生まれ変わっている部
分から影響が出てくる.免疫をつかさどる白血球、腸の粘膜、皮膚などだ。とくに白血球が少なくなるとウィ
ルスや細菌、カビなどに感染しやすくなり、ときにその感染が命取りになる。その治療法として、白血球など
の血液を作り出すもとになる造血幹細胞を移植して免疫力を取り戻させる方法がある。しかし、放医研は造血
幹細胞の経験がなかった。(17 頁)
・放射線医学の知識から考えると、大内が浴びたと推定される放射線の量が致死的であることはだれの目にも
明らかだった。しかし、この時点での大内は非常に元気で、どこから見ても高線量の被爆をした患者には見え
なかった。前川は大内の治療に全力を尽くそうと心に決めた。(19 頁)
・細川美香は医師たちと話す小林のただならぬ雰囲気を感じ取っていた。そこへ、「今テレビでやっている被
爆の患者さんが来るんだよ」と医師から聞かされ、動揺した。・・・・・・まず頭をよぎったのは、患者のそ
ばにいたら二次被爆するのではないかという不安だった。「二次被爆」は、核兵器の爆発や原子力施設の事故
で「死の灰」と呼ばれる放射性物質が撒き散らされた際に問題になる。ストロンチウム90 やセシウム137 な
どの放射性物質は放射線を出す能力、すなわち放射能をもち、人体にとって非常に危険な物質だ。放射性物質
が患者の体の表面や衣服などに付いていると、医療スタッフもそれにさわったり、吸い込んだりして被爆する
可能性がある。・・・・・・・大内たち三人の被爆は中性子線とガンマ線という放射線によるものだった。放
射性物質を浴びていたとしてもごく微量だったため、実際には二次被爆の危険性はほとんどなかった。(21 頁)
・横たわった大内が声を発した。「よろしくお願いします。」細川は「あれ?」と思った。普通に会話できる状
態だと思っていなかった。被爆という言葉から、外見的にもかなりダメージを受けているだろうし、意識レベ
ルも低いのではないかと想像していたのだ。しかし外見だけでは、一体どこが悪いのだろうとしか思えない。
致死量といわれるほど高い線量を浴びたと聞いたのが、とても信じられなかった。「ひょっとしたらよくなる
んじゃないか。治療したら退院できる状態になるんじゃないかな」そういう印象を持った。(24 頁)