> 2009/12/06 (日) 10:43:22 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く」石川 啄木
> > この意味を教えてください(;´Д`)レポート出さないといけないんだ
> 仕方ないなあ俺の解釈を教えてやるよ
> わざわざ人ごみの中に行き、他人の会話を「聴きに行く」のがおかしい。
> ここで「行く」は動作動詞だが、そう行動させた原因と目的はなんなのだろうか。
> 目的は、「聴く」ことである。原因は訛りがなつかしいからである。
> ここで、行った目的の「聴く」とは一体なにを聴きに行ったのだろう。
> 単に「訛り」なのか、それともそれ以外のものなのか。そこに、真の目的がある。
> また、原因としての「なつかし」の中身は、単に「訛り」なのか、それともそれ以外にもあるのか。
> この中心人物は、訳あって長く住んだ土地を離れて暮らしている。
> また、ふるさとの訛り言葉が懐かしいのだから、家族とも離れて暮らしているし、
> 昔からの友人との接触もずっとないことが分かる。しかも、帰省もしていない。
> そのことは、訛りが「なつかしい」ということから分かる。「なつかしい」の意は、
> 思い出深い人に久しぶりにめぐりあったり、かつて遊んだ土地に再び行って
> 昔と変わらぬ景色や物を見たりして、時間の経過を忘れたような感じがしてうれしい※1である。
> また、「うれしい」には、自分の欲求が満足されたと感じて、その状態を
> 歓迎する気持ちだ※1という意がある。つまり、これまでに自分の中に
> なんらかの欲求がすでにあったのである。それは、単に訛りをききたいということだけか、
> それともそれ以外にもあるのだろうか。これは、上記した「行く」の目的である
> 「聴き」の中身がなんであるかとも一致する疑問である。
> この疑問を解く鍵は「聴き」である。「聞き」は、音や声を耳で感じる※1ことをさす。
> つまり、人ごみからの声がふるさとの訛りだと分かったのだということをさす。
> ということは、わざわざ人ごみの中に行かなくても、すでに「聞き」の状態に
> はなっているのだから「行く」ことの目的は、訛りをきくことだけではないのである。
> では、何をききにいったのか。「聴き」には、聞いた内容を理解して、それに応じる※1という意がある。
> つまり、会話の内容を理解したくて行ったのである。しかし、尋ねることはしない。「聴き」から
> それだけのことが分かるのである。人ごみの外からでは、訛りだとは分かっても内容までは分からず、
> どうしてもその内容が知りたくて聴きに行っているのである。
> そうすると、「なつかしい」の中身も見えてくる。それは単に訛りが懐かしいのではない。自分が去った後、
> ふるさとでどんなことがあったのか、家族・友人はどうしているのか。気になり続けていたけれど
> 知ることができないでいた状態であったことが分かる。なつかしくおもう欲求の背景には、
> そうしたふるさとの訛りだけではなく、そうした知りたくても知ることの出来ないおもいがあったのである。
> この中心人物は、自分が去った後のふるさとでのこと(特に自分に身近な家族のことすら
> 分からずにいるのだからそのことなど)を知りたいという目的をすでに持っていた。
> しかし、知りたいのにずっと知ることができず、またこの場面でも決して尋ねることはできない状況なのであった。
長文UZEEEEEEEEEEEEEEEEE
参考:2009/12/06(日)10時42分49秒