2010/01/09 (土) 23:01:54 ◆ ▼ ◇ [qwerty] 隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、
天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、
性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、
賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、
※(「埒のつくり+虎」、第3水準1-91-48)略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。
下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、
詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。
しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。
李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。
この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、
肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、
曾(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、何処(どこ)に求めようもない。
数年の後、貧窮に堪(た)えず、妻子の衣食のために遂(つい)に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。
一方、これは、己(おのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。
曾ての同輩は既に遥(はる)か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙(しが)にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、
往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何(いか)に傷(きずつ)けたかは、想像に難(かた)くない。
彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性は愈々(いよいよ)抑え難(がた)くなった。
一年の後、公用で旅に出、汝水(じょすい)のほとりに宿った時、遂に発狂した。或(ある)夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、
何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇(やみ)の中へ駈出(かけだ)した。
彼は二度と戻(もど)って来なかった。
附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰(だれ)もなかった。