> 2010/06/06 (日) 00:33:58 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 麻枝准を物語と物語を繋ぐ脚本家として捉えるのではなく、物語と楽曲という
> > 二つの違うメディアを繋げる脚本家=プロモーション作家として捉えるという視点。
> > 突然だが皆さんは、10年前の作品のお話を精密に覚えているだろうか。
> > 大多数の人間はよほどその作品に思い入れが無い限り、「1回観てハイ終了」
> > ではないだろうか。例えば『AIR』(ゲーム)は2000年に発売されたゲームだが、
> > そのシナリオを隅々まで正確に覚えていると言う人がどれだけ居るだろうか。
> > 長期的な作品の記憶として残ってゆくのは物語の大きな断片である。みちるの
> > 「ねぇ美凪、今笑ってる?」というシーンであったり観鈴の「もう、ゴールしても
> > いいよね」というシーンなどは今でも多くの人に共有されているものだ
> > そこでは「何故そういった事態に物語が発展したか」という中間の部分は
> > 「なんか昔から伝わってる病気らしくて、主人公とヒロインは前世で繋がってて・・・」
> > と精密な部分は多くの人に忘れ去られてしまう。
> > 長期的に見た場合のその「記憶の蘇り」の精度において、麻枝准という作者は
> > 「一流のプロモーションビデオの脚本家」と言えるだろう。
> > このレベルに立ったとき、果たして麻枝准を「人の死でお涙頂戴する狡猾な脚本家」
> > と罵ることが出来るだろうか。
> http://d.hatena.ne.jp/gavblog/20100605/1275735625
はてダらしい考察ですね
参考:2010/06/06(日)00時31分54秒