中学校で生徒会長になるも生徒会でリコールされる。そのまま不登校になるが 1988年、武蔵野市立第六中学校を卒業し佼成学園高等学校に入学するも翌年5月に 中退する。後に大学入学資格検定に合格。 1990年5月、「子どもの権利条約の批 准を求める10代の会」を結成し市民活動を開始する。 1991年1月3日(当時17歳)、福岡県内で開催された人権集会「子どものティーチ・イン」で ディスカッションの司会を務めたが、参加していた外山恒一に論破され全く反論することができなかった。