2010/06/29 (火) 01:23:34        [qwerty]
集落が完全に壊滅した事例


■1586年1月18日(天正13年11月29日) 岐阜県大野郡白川村
 帰雲山が崩落し、大規模な土砂崩れが発生。
 内ヶ島一族と配下の者達、更に城下の300軒の民家に住む500人以上の領民が全て土中に埋没した。
 日本史的にも類を見ない「天変地異による大名家の滅亡」となった。

■1771年4月24日(乾隆36年/明和8年3月10日) 沖縄県石垣市
 八重山地震で発生した大津波で、死者・行方不明者約12�000人・家屋流失2000戸以上。
 宮古島では高さ40mの津波に襲われ、3つの集落が海に流されて住民ごと消失した。
 隣にある下地島では全島で10に満たなかった集落の内、4つが津波で完全消失。
 尚、下地島ではその約200年前にも大津波により島の住人全てが全滅した過去を持つ。

■1822年(文政5年3月23日) 北海道
 有珠山の噴火により、南西麓の虻田集落(現在の洞爺湖町入江)が全滅。死者50人。

■1888年(明治21年7月15日) 福島県
 会津磐梯山の爆発により発生した厚さ数10mの土石へ埋もれ、
 秋元・細野・雄子沢の3集落が全滅、死者合計461名。
 土石流の速度は時速30km~50kmに達したと推測されている。

■1902年(明治35年8月) 伊豆諸島 鳥島
 大噴火で大量の噴出物が居住地を一瞬で埋め、逃げる間もなく島民125人全滅。
 唯一の生存者は、噴火の直前に定期船で島を離れた玉置半右衛門1名のみ。

■1923年(大正15年5月24日) 北海道
 十勝岳で発生した大規模な水蒸気爆発によって、
 富良野を中心に死者・行方不明者144名、負傷者200名、流失・破壊家屋372棟。
 内、3つの集落が全滅した。

■1945年(昭和20年3月22日) 青森県西津軽郡赤石村
 午後11時に鉄砲水が襲い、1戸を残して20戸が埋没、倒壊、流出して
 大然(おおじかり)集落集落は全滅した。
 集落にいた住民のうち男性41人、女性46人の計87人が死亡して7月11日になって発見された。
 避難して無事だったのは16人で、他の村に出かけて不在だった者や、出征していた者なども無事だった。 

■1951(昭和26年7月11日) 京都府亀岡市篠町
 未明からの局地豪雨で河川の氾濫、ため池崩壊、山崩れの発生と完成2年目の平和池ダムの決壊で、
 濁流に直撃されて泥海に沈み、全80戸の半数が流失。柏原集落の住民75人全員が命を失った。

■1965年(昭和40年6月26日) 神奈川県川崎市
 午後9時40分に住宅地裏の石炭ガラの山が崩壊して住宅15棟60人が生き埋めとなった。
 崩壊したのは4万立方メートルに及んだ。
 6月27日未明は豪雨となり、僅かに残っていた生存者もこれで全て死亡したと見られている。
 現場は大谷戸になっており、谷の入口から中ほどまでに家が建っていて谷の奥は15mの崖になっていた。
 埋まった建売住宅は2年前に100万円前後で売り出されたもので、建面積40平方メートルほどだった。