2010/07/05 (月) 01:04:20 ◆ ▼ ◇ [qwerty] も私の高校での話だ。トランプゲームで「大貧民」(地域によっては「大富豪」ともいうらしい)という
ゲームが放課後の生徒会室ではやったことがあった。何人かの生徒同士が遊んでいる場面を、
巡回中の生徒指導主事の教師が目撃、「何をしているんだ!」となった。ところがこの教師が問題視したのは
まず「大貧民」というネーミングだったのである。この名前が差別的だというわけである。
さらにこの教師はゲーム勝者の「大富豪」が次のラウンドに入る際、自分の一番弱いカードを
ゲーム敗者である「大貧民」に押しつけ、代わりに「大貧民」が持つ一番強いカードを受け取るルールが
「差別を温存する構造」だと言い出した。「大貧民」はいつまでも「大貧民」から抜けられないゲームの構造になっている、
そんなゲームに興じるのは差別を肯定することにほかならない、というわけである。差別に苦しんでいる人間が
ゲームを見たときに味わう苦しみは計り知れない、それがおまえたちわかっているのか!という論理で責め立てられたのである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100704/stt1007041802001-n1.htm