マイクロソフトの意向に一〇〇パーセント沿いうる子会社を日本にも作るべきだとする社内の意見に対して、 西への共感と友情はゲイツの決断をためらわせ続けた。だが最終的には、一九八六(昭和六十一)年三月いっぱいの 契約切れを機に、マイクロソフトはアスキーとの独占代理店契約の解消に踏み切った。 同年二月十七日、マイクロソフトは日本法人のマイクロソフト株式会社を設立した。 マイクロソフトの販売窓口では新しいものは作れないとして、西の再三の復帰要請を断ってきた松本吉彦は、 彼が一人になって初めてアスキーに戻る気になった。 だがこの事件をきっかけに、去っていったスタッフもいた。 マイクロソフト日本法人の社長には、古川享が就任することになった。 古川をはじめとするスタッフを引き抜かれた西は激怒し、以来ゲイツとは顔を合わせることはなくなっていた。