> 2010/08/25 (水) 01:02:06 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 単純に読みなれている形であるっていうことがあるんだろうけれど
> > 例えばまあ教科書に載るような小説のように人物の心理描写や
> > 間接的な説明描写なんかを入れてしまうと読み手が恣意的に解釈できる
> > 部分ってのが限定されるか無くなるかしてしまう形になるから
> > 結局“リアルじゃない”って話になってしまうんじゃないかな
> > 読み手が勝手に想像してそこに自分のこれまでを当てはめて
> > “これはリアル”と認識させることで価値が生まれるのだから
> > 文章がスカスカであってもある程度のリアルなラインを押さえておけば
> > あとは勝手に読み手が自分の好きなように恣意的に補完してくれるという
> それだと所謂ゆとり世代てきな議論とは真っ向から対立するよね(;´Д`)
> つまり彼らは非常に行間を読むのに長けた人達だと言うことになる
> でも緻密すぎる描写が却って嘘臭いというのは多分合っているだろうな
> 不気味の谷みたいなもので中途半端にいっぱい書き込んでも不気味にしかならないってのはあると思う
> 漏れは恣意的に解釈出来ないから緻密な描写が敬遠されるという意見には賛同出来ないけど
> 詳細な描写が敬遠されてしまうってのは同意するよ
> けれど携帯メール的な単純さが求められるのは
> どちらかというとやっぱりリアルさを求めてじゃないかと思うね
> そうなるとやっぱり何故リアルが求められるのかという問題にたどり着く気がするんだ
うん、貴殿の言うとおり“何故リアルが求められるのか”というのが一番の根っこだな
ドキュメンタリの本とか読んでるとドキュメントですら送り手が恣意的に構成している
ものであって本来の意味でリアルかというとそんな事は無いっていう話があるけど
結局リアルであるかどうかってことはそれが真実かどうかではなく“リアル感”が
あるかどうかという問題であってそれをなぜ受け取り手が必要とするのかという
話になると“何で?”って立ち止まってしまう
明らかな嘘というのはとても世の中に認められていてマンガでもアニメでも映画でも
そのような世界を提示して楽しませるけれど
それとは反対にリアルであることっていうのが一つの娯楽として求められるというのはどういう事なのか
さっきの何とか系の話じゃないけど本質的にそういう世界を求めている人たちがいるとしか言えないんだよなあ
それが何に起因しているのかを考察することは出来てもあまりに一般的な解釈になりすぎて逆に釈然としない
参考:2010/08/25(水)00時50分22秒