2005/09/10 (土) 00:03:57        [qwerty]
愛国朝礼、修学旅行、運動会、遠足、頭髪検査、班長と週番制度、校訓とクラス標語、 
校門前での風紀委員による登校指導と服装検査… 

今でも学校現場でよく見られるこうした慣行は、日帝が天皇制国家形成に必要な国民を 
育てるべく施行した学校規律がルーツだ、という主張が出た。 

呉ソンチョル教授(ソウル教育大)は9日、国会の教育委員会所属の鄭鳳株(チョン・ボンジュ) 
議員(ヨルリン・ウリ党)が主催して議員会館で開かれた、光復60周年・日帝残滓60周年 
記念「教育文化に対する反省」シンポジウムで、このように主張した。 

1968年の国民教育憲章公布で全面的に再整備され70年代に確固として定着した、学校 
規律や慣行は、1930年代後半に日帝が皇国臣民化政策を本格的に推進する中で導入 
した各種規律にあまりにも似ていたと、呉教授は主張した。呉教授は、こうした規律装置 
は植民地時代には天皇制イデオロギーと結合され、1970年代以降には反共・民族主義と 
結合された、と指摘した。「教育勅語」が「国民教育憲章」に、「日の丸」が「太極旗」に、「君 
が代」が「愛国歌」(韓国国歌)に、「皇国臣民ノ誓詞」が「国旗への誓い」に変わっただけだ 
というのだ。修学旅行や遠足も、国家主義・民族主義・反共主義関連の遺跡を主に踏査 
するという点で同じだ。<中略> 

呉教授は、こうした慣行が作り出す人間類型を、チャイムが鳴ると5分以内に校庭に集合 
して整列し、隊列を乱す存在を困り者と見る「全体主義的人間」、と要約した。