>  2010/09/04 (土) 03:33:55        [qwerty]
> > 何年もかけて書いたやつだったと思ったけど(;´Д`)俺の記憶違いかも知れないが
> もちろん構想はあったに違いないが(;´Д`)
> 以下WIKIしらべ
> ドストエフスキーは、ペテルブルクで兄の遺族の扶養や莫大な借金の返済な
> ど、経済的にも精神的にも追いつめられていた。その苦境から脱するため、あ
> る出版社に無謀な契約をして3000ルーブルを前借りし、当座の借金を返済す
> る。そして、1865年7月、国外旅行に出発し、ヴィースバーデンで恋人ポーリ
> ナと落ち合うが、そこで残った金を全て賭博で失ってしまう。後には引けない
> 一文無しの状態の中で構想をまとめ、同年10月に友人の協力で帰国。翌1866年
> 1月、雑誌『ロシア報知』にて連載を開始し、同年12月に完結した(同じロシアの文豪トルストイの『戦争と平和』も同時期に連載が始まった)。
> 構想三ヶ月だな(;´Д`)
> 俺がいった云々より新聞連載ってのがでかいのかも
> 新聞の連載小説って後から読むと冗長だったり変に感じたりすることあるし

くどい(;´Д`)ってよく言われない?

参考:2010/09/04(土)03時32分52秒