2010/09/21 (火) 23:56:02        [qwerty]
地球上で最も美しい生命体と誉れ高い彼女は、あるおっさんの遺伝子を組み替えて生み出された最先端バイオテクノロジーの結晶だった。
かつておっさんだった彼女は遠い目で昔の日々を思い出していた。

 おっさんの名は平田郁夫といった。54歳の平田はコンビニでアルバイトをしていた。もちろん店長ではなくただのバイトである。
平田は何をするにつけても不器用で鈍くさく、彼がレジに立つと行列は店外に伸び、その長さは2kmに及ぶほどだった。

 しかし平田は心優しい男だった。タバコを買う客には健康を害するおそれがあることをわざわざ告げ
弁当を温めるときもレンジを使わずに自らのふところで温めるような男だった。
しかしそのせいで平田はコンビニを解雇されたのである。

 平田はいまどき珍しい4畳半のアパートに住んでいた。独り身だった平田に養うべき家族はいなかった。平田はもう働くのはやめようと考えていた。
彼はもう十分に疲れていたし、世間の厳しさも嫌と言うほど味わっていた。
これからは僅かな蓄えを切り崩し、それが尽きたらあとはなすがまま、運命に任せようと思っていた。

 季節は七夕だった。平田があてもなく街を歩いていると、1枚の短冊が差し出された。
商店街の七夕飾り用に、何か願い事を書いて欲しいと言う。頼まれると断れない平田は言われるがまま願い事を書くことにした。
律儀なことに住所と電話番号まで添えて。だがその律儀さが平田の運命を変えることになる。
生物化学研究所 遺伝子・バイオテクノロジー本部から招待があったのは翌日のことだった。

 研究所に着いた平田を出迎えたのは1匹の猿だった。
「平田様ですね」
  猿が喋ったことに平田は驚かなかった。これは恐らくロボットというやつなのだろうと推測した。しかし研究所の奥へ進むうちにその思いは打ち消されていった。
研究所内には何匹もの人語を解す動物が溢れ、さらに四つん這いの人間や、鳥のように羽ばたこうとする人間までがいたのである。呆然とする平田の耳元で猿が告げた。
「これが最先端です」
  平田の意識はここでいったん途切れることになる。

 目が覚めると平田は絶世の美女に生まれ変わっていた。

 平田は現在“IKU”という名でモデルとして活躍している。
遺伝子技術によって生まれ変わったことはまだ秘密にしているが、研究所は平田がもっと有名になってから発表する算段らしい。
どうやら平田は広告塔として体良く利用されるようだった。
しかしそれも平田にとってはどうでもよいことだった。平田はかつて自分が書いた短冊を思い出していた。

『こんど生まれ変わったらうつくしくなりたい』

 その意味は決して美女に生まれ変わることではなかった。だが今更そんなことを言っても仕方がない。
平田はカメラのシャッターに合わせて無心にポーズをとり続けた。そしてある日、仕事を終えた平田は忽然と姿を消したのである。

 平田は以前勤めていたコンビニで再び雇われていた。
美貌の店員は瞬く間に話題となりコンビニは客でごった返していたが、平田は以前と同様に不器用で鈍くさいままだった。
平田は相変わらずレンジを使わずに自らのふところで弁当を温めていた。だが客は何も言わず、満面の笑みを浮かべていた。
タバコを買う客に健康を害するおそれがあることを告げると、客はすぐさま禁煙を始めた。

 今日も平田がレジに立つと2kmの行列ができる。しかしその列に並ぶ者はみな一様に笑顔で順番を待っていた。