>  2010/10/21 (木) 13:22:50        [qwerty]
> > 「人生とはなんなのか、地球が何か巨大な生物の目玉か何かだったとして
> > 人間がそれを形作る細胞か何かの一つだったとして、その無数ある細胞の
> > 一つが俺だったとして、だったら俺は何なんだ。俺という意識は何なんだ
> > 俺は細胞として生かされているのか、あるいは地球という眼球を生かすた
> > めにいきているのか、わからない、どっちでもいいがとにかく苦しい。
> > 大槻ケンヂは人生は1か0かじゃないと言う。もっともっと曖昧で雑然とした
> > ものだという、だったとして、割り切れないものだと考える事として
> > それを楽しめるヤツはいいが、楽しくないヤツはどうすればいいんだ・・・
> > もっと俯瞰でみるべきという、俯瞰ってなに?」 1996年7月16日
> > (;´Д`)
> > あんまり恥ずかしいから貴殿らに恥ずかしさをおすそ分けするよ
> うわー<(;´Д`)>ドペル

フシシ(´ー`)
じゃあ更に書き込むよ
「今日は習字に行ってきた。習字では墨と半紙だけでそれは黒と白の
世界だ。白い半紙に墨の黒、しかも黒い字で意味のある文字を書く。
紙としての意味を持って存在している半紙と、墨としての意味を持って
存在している墨とを使って、それに文字と言う意味を書き込む俺。
この関係性は人生に似ている、生きていれば良いという考え方は楽だが
ただそこに存在しているだけの価値に、人間は我慢できずちょっかいを
出すそして良いとか悪いとか言う。せっかく白くて綺麗な半紙も、黒く
て綺麗な墨も、俺が使うことでその意味をなくしてゴミになる、書き損じた
習字をみていると悲しくなる」

(;´ー`)
習字に人生を見ている1996年8月23日の俺

参考:2010/10/21(木)13時12分45秒