2010/10/26 (火) 14:17:40        [qwerty]
 
 自室の蛍光灯の下で、コイルの調整と取り付けを夜通し繰り返していると、手作りのカメラのすくい取った世界が、
ふっと浮かび上がって画面上にとどまった。松本は部屋の畳に座り込んだまま、呆然とテレビを眺めていた。
 東から空が白みかけ、鳥の声が遠く近く重なり合って朝の空気を震わせはじめた。
 松本は腰を上げてカメラを手にとり、窓の外にレンズを向けてみた。
 画面の左側に、画像の一部が薄く対称に映っているのに気が付いた。だが手作りのカメラは、確かに早朝の町の、
息をひそめたような姿を写し取っていた。
 そのとき不意に、一匹の小鳥がカメラの前の景色を切り裂いて飛んだ。
 ラッセルの言う、建設的な事業の成功から得られる人生最大の満足は、この瞬間、松本の胸の内にあった。
 体中をみたした疲れを泥のような眠りの中で吐き出した松本は、この喜びにいたるきっかけを与えてくれた
西村昭義にあてて報告の手紙を書こうと思い立った。

「拝啓 JA1BUD西村昭義様
 六九年四、五、六月号の『CQ ham radio』にのっていた貴局の設計されたTVカメラを、やっと作り上げました。
 今の感激は、小学校三年生の時並三ラジオを作り上げたときの感激に次ぐものです。そのようなわけで
雑誌の記事を見て作ったものが無事に出来たので、ちょっと興奮しているところです」

 手紙を受け取った西村は、記事に触発されて試みはしたものの、失敗する者が続出する結果となったテレビカメラ作りを、
高校生が成し遂げたことを大いに喜んだ。たくさんの熱心な問い合わせはあったが、コイル部が最後まで障壁となって,
記事のカメラには完成にこぎ着けられる人がほとんどいなかった。
この反省を踏まえ、西村は『CQ ham radio』の一九七〇(昭和四十五)年八月号から、
静止画しか扱えない代わり作りやすい別方式のカメラの製作記事を連載しはじめたばかりだった。
 西村は編集部に松本からの手紙を紹介し、これが半頁にまとめられて同誌十月号の誌面を飾った。
 活字となった名前は、松本の心をもう一度強く弾ませた。