2010/12/30 (木) 01:24:16        [qwerty]
さて、私はここで神の絶対性を説いた
神は無限であり他のものは無限的ではあるけれども無限ではないと言う意味で神とは別離されるものである
よって絶対者は神以外に無く唯一の存在である
ここで解決しておかなければならない問題がる
宗教である
これは実際に神を説くがなんらその言葉には意味がない
彼らはある種技術者であると言っていいだろう
一つの概念、これは神であるが絶対者についての有限的部分を切り取り(なぜなら「神」は絶対であるので無限であると同時に有限も内包しているから)
それを基礎に己の理念を具現化していく
本来であるならば、実に誠実な宗教者であるならば神の意思や方向性は説けないのである
しかしながら彼らはさも神の代弁者であるかのように振舞う
曰く神はこう言っている、曰く神はこう望んでいらっしゃる
なるほど彼らには罪の意識はないのかもしれない
それは彼らが見つけたアプリリな光を追っているに過ぎないのだから
しかし時々であるが彼らは道を違える
まるで哲学者がその「名前」に囚われるあまり哲学そのものを放棄して
まるで言語学者のように振舞い始めるかのように
思うに神にもっとも近いのは詩人である
彼らは確かに語る
しかしそれは神の有限性ではなく無限性を語るのである
林檎について語るのではなく林檎があると語るのである(その中で技法が混じる事はありえるが率直な詩人は語らない)
また、数学者もある意味哲学的である
これは哲学が全ての学問の基礎である事と関連しているのだが
数学には公式と言うものが存在する
AはBで在るということはA=Bと変換する事が出来る
またBはCで在るということも出来る
よってAはCでありA=Cという公式が生まれる
これには不変の真理が在る
そこには誤まりも誤謬もない
ただAと言う存在とBというそんいがあるだけでありCはCであるという事を指し示しているに過ぎない
哲学においても同じ事がいえるであろう
つまり神は無限でありその他の者は有限であるという公式に乗っ取って考えると言う事は数学的であり
神がいると語る事は言語学において至上の詩なのである