2011/01/20 (木) 19:56:06 ◆ ▼ ◇ [qwerty]理科大の大学院に行こうと思って主任 教授の所へ行ったら、お前大学院てのは病院じゃないんだ、
お前みたいな者が行っても ちっとも頭は良くならんぞ、って言われてね、理科大辞めたの。
とっても嫌な主任教授 だったけど、その後僕は理科大の教授になったんだよね、それで同僚になった時には
何 かにつけてイヤミ言ってやった。それはともかく、関西の大学(大阪大学)受けに行っ たの、
3ヶ月位勉強して行ったんだけどね、けんもほろろに、こんなできない奴は大阪 大学始まって以来だ、って
言われてガッカリしてさ、結構傷ついたよ。俺は改心して、 関西に行って真面目にやろうなんて思っちゃって、
22歳の頃だったかな、頭剃ってスキ ンヘッドにして随分勉強して行ったんだけれども何だかできなくてね、
大学院の試験が 、面接が翌日あったんだけどもその時に落ちたっていうのがわかった、
先生方がみんな 、いやー君はすごいねぇ、代数も解析も幾何も、3科目ともそろってビリだよ、って
言 われてもうガックリきちゃってさ、まだ帰れとも言われてないけども、失礼しました、
御騒がせしまして、と言って, もう顔から火が出そうな位恥ずかしかったけれど、失礼 します、って言って
部屋から出た。
そしてもう東京帰ろうと思ってたら、若い先生が凄 い勢いで追いかけて来る、どうしたんですかと聞いたら、
ダメだよ君、自殺なんかしち ゃ、なんて言われた、そんなつもりはなかったけど。それでその時に先生に言われた、
君はああいうムードになっちゃってとっても傷ついただろうけどね、いい所も君にある んだよって、
何ですかって聞いたらドイツ語と英語は1番だよ、といわれた。
そ の時に、南雲みちよ先生に仕えたいと俺が言ったら(南雲先生とは偏微分方程式論の開 祖といわれている人で、
たまたまその年に大阪大学を定年退職し、新設される上智大学 の大学院に配属される事が決まっていた。)
その先生は、2月にある2回目の大学院試験 で、来年から南雲先生が勤める上智大学を受けてみることを薦めてくれた、
それで僕は あと半年がんばって上智を受けてみよう、と思ったわけ、そして実際試験を受けにいっ たら、
これまた拍子抜けして、俺以外受験生が誰もいなかった。