2005/09/24 (土) 02:38:09        [qwerty]
こうした情勢を見た本願寺の法主顕如は、これ以上抵抗を続けるのは難しいと
考え、実質は降伏とあまり変わらない講和に応ずることとした。さすがの本願寺
がこうした形で屈伏したのは、信長の海上封鎖が成功したからだといわれて
いるが、封鎖はそれほどの効果があったわけではない。事実は、諸国の反信長
派が次々と没落してしまい、残る毛利氏などの応援も期待できなくなったので、
少し早めに手を上げたということである。