『君が望む永遠』では、感情を喚起する人格と劣情を喚起する人格が明確に区 別されて配置される。劣情のはけ口となるにはあまりにも繊弱な人格に、鑑賞 者はうるうるしつつ、汚れもの専用人格と身体だけの関係を続けるのである。 『君望』で、感情喚起人格と劣情喚起人格が並立するのは、鑑賞者に人格選択 の苦渋を追体験させるためなのだが、これにはあまり意味がない。この選択に 際しては、鑑賞者に迷いは生じない。捨てられるのは、体だけの関係しかもち 得ない劣情喚起人格である。