> 2011/05/02 (月) 11:19:42 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 実際はアッテムトっぽいな(;´Д`)
> 小学校の頃足尾銅山事件を勉強したときみんなしてアッテムトという声があがったのを思い出した
明治34年(1901年)12月10日、日比谷において田中正造が明治天皇に足尾鉱毒
事件について直訴を行ったが、警備の警官に取り押さえられて失敗。しかし、
東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。田
中の直訴後、学生が相次いで団体で足尾見学に向かうなど、世論の盛り上がり
にあわてた政府は、1902年に第二次鉱毒調査委員会を設置した。同委員会は
1903年に、1897年の予防令後は鉱毒は減少したと結論づけ、洪水を防ぐために
渡良瀬川下流に鉱毒沈殿用の大規模な「遊水池」を作るべきとする報告書を提
出した。しかし、第二次鉱毒調査委員会は、前述のとおり、予防令による工事
で鉱毒は減少したとは結論づけたが、鉱毒が消滅したという調査結果はない。
こういうの見ると日本は昔からこうだったんだなと思えるね(;´Д`)
参考:2011/05/02(月)11時17分23秒