古墳の発掘なども指揮した徳川光圀は、 1664年、要石(どちらの要石かは資料により一定しない)の周りを掘らせたが、 日が沈んで中断すると、朝までの間に埋まってしまった。 そのようなことが2日続いた後、次は昼夜兼行で7日7晩掘り続けたが、底には達しなかった。