ニコニコ共和国 温泉街入口に「国境」を設置したり、温泉街にある温泉協会事務所を「国会議事堂」、豆腐店を「蛋白研究所」、 食堂を「国立議員食堂」と称したりした。パロディとしての要素が強いと思われたが、 温泉街で使用できる地域通貨として「コスモ」を発行するなど、画期的な施策も見られた。 当時はマスコミの取材が殺到し、観光客も1982年以前に比較して増加するなど温泉街も大きく賑わった。 その後、サマーフェスティバルを毎年行うなど, マンネリ化への対策も考えられてきた。 開国25年目にあたる2006年(平成18年)8月31日、「ニコニコ共和国最後の晩餐」において 「日本国への統合」を以って、24年にも渡る長期プロジェクトは終了した。