2011/09/16 (金) 20:41:43        [qwerty]
「どうしていつまでも私の事を香織さんと呼ぶの!?なんでお母さんって呼んで
くれないの!私だって本物のお母さんになれるように頑張ってるのに!!」

「なんでけんちゃんのお母さんになりたがってるの?ばっかじゃねーの?
お母さんはお母さんだろ?逆立ちしたって香織さんはお母さんになれないよ」
俺はすっかり沖縄方言に感化されてしまって標準語での柔らかい表現が下手に
なって思った事を直球で言ってしまった。

そもそも沖縄で出来た新しい友人たちは思った事を包み隠さず喋るタイプ
ばっかりで、当然俺もそれが普通になっていた。
その晩、親父が帰宅して香織さんが居ない事を不思議に思い、俺に尋ねてきた
「お前はなんもわかってないのかー!」と烈火の如く怒り、俺に拳骨を
食らわせて走ってどこかへと行ってしまった。

次の日の朝、いつも通り香織さんと親父は食卓に居たが一言も口をきいて
なかった、そんな重苦しい空気に耐えかねて俺は早々に登校した。
それからは毎日親父はどこかへ電話していたり、香織さんが居たり居なかったり
の毎日が繰り返され、そのうち香織さんは家に寄り付かなくなってしまった。
親父の夜の外出は増え、酷く酔っ払って帰宅することはしばしばあった。

それは突然やってきた、なんと学校にお母さんとお姉ちゃんがやってきた。
職員室に呼ばれ、そこで久々の親子の対面をした。俺を見つけたお母さんは
酷くやつれてて幽鬼のようだった、駆け寄ってきたお母さんは俺を力いっぱい
抱きしめて「痛いよ離して!」と言うと、今まで味わった事の無い力で
思いっきりビンタされた。軽く机4つ分くらい吹っ飛ばされ鼓膜が破れた

そんな凶行に職員室の先生たちは度肝を抜かれ硬直していたが、保健の先生が
とっさに俺を職員室の端に引きずって身を挺して俺を守った。
体育の先生はお母さんと俺の間に立ちはだかり、突進するお母さんをブロック
教頭先生は警察に電話しろと叫び、お姉ちゃんはなんだかわからないけど
ヘラヘラと笑っていた。久々に見たお姉ちゃんは髪の毛が外人みたいな金髪で
化粧してて、なんだか知らない人みたいだった。

後で知ったのだが、お母さんは親父と離婚後精神病を患って長期強制入院
してたが脱走して、親父の実家に殴りこんでココを聞きだしたらしい。
お姉ちゃんは親戚をたらいまわしにされ、遠縁の親戚に預けられた時に
非行に走って何度もシンナーで補導されていたらしい。

現在の母親は完全なアル中で何度も入退院を今でも繰り返しているらしい。

グレたお姉ちゃんは別人のようになって結婚してエコロジー意識の高い主婦であり
一男二女の母親で主婦向けの月刊誌でコラムとか書いて旦那の健康管理に夢中

親父は俺が成人するまで一緒に沖縄で住んでいたが、まぁホントいろんな女を
家に引っ張り込んで失敗してたが俺が16の時にやってきたアメリカ海兵隊と日本人
の間に生まれたハーフと結婚してなんとかうまくやってる。

俺は生まれ育った地元に戻り、地元に支店を置く家庭用常備薬のセールスを束ねる
エリアマネージャーという閑職で大満足している。

終わり