> 2005/04/07 (木) 03:21:58 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 「バルトとは、」と語られることを徹底して拒否した人物であるバルトにとって
> > 「作者の死」という概念はその主体化の拒否から派生したに過ぎないのに、
> > バルトの代表作を規定しようとすることは無意味だし、ましてや『作者の死』
> > (ちなみにこれは本じゃなくて論文)こそが代表作だとする主張はどうかと思うが。
> > 大体作者をパラテクストと見なしたジュネットにしたって当然バルトを視野に入れて
> > 展開しているに過ぎないわけだが。
> バルトとはとバルトが拒否しても他の奴は関係なくバルトについて語るんだよ
> ポール・ド・マンの脱構築も死後過去親ナチだったことが暴露されたんで
> 脱構築とは結局物事を曖昧にし政治的なことから逃げようとした
> 試みだったんじゃないかと今では言われてるのを知らんかね?
> 貴殿はポストモダンにどっぷりのようだが外からの批判に耳を傾けた方がいいぜ
> バルトが自己弁護のために自分のことを語られたくないと思った可能性には思いもいたらんようだな
主体化の問題についてはフーコーの指摘を理解していれば単なる自己弁護なんてのは
口が裂けてもいえないだろうと思うんだが。
大体俺は脱構築だのポストモダンだのについて語ってはいないし興味もないんだが。
まぁ君が俺の意見を抽象し直観的にそのような論点を見出すのは結構だが(これこそが作者の死だ)
それを読者に対して発表し自分の意図を十全に表現しようと思うならばもう少しきちんと
論理立てて書いたほうがいいんじゃないかね?
参考:2005/04/07(木)03時17分12秒