2005/04/08 (金) 09:36:52 ◆ ▼ ◇ [qwerty]▼それにしても、NHKって、うつの番組が多いです。しかも見るたびに気持ちわ
るい。「それはうつです」「仕方ありません」「あなたの大変さが、誰にもわ
かってもらえないことが私にはわかりますよ」「医者の言うことを聞きましょ
う」「社会はうつに無理解です」「会社は休んで、この薬を飲みましょう」っ
て、そのまま宗教の文脈ではないですか。
▼モノアミン仮説も、P科の人々の診察の癖も、新型抗うつ剤のアウトラインも
おおよそ知った上で、やはり私は、うつは病態ではなく、社会学の分野に属す
る現象だと考えます。だからその解決のアプローチに効率を求めると、宗教を
実践するような文脈になるのでしょう。精神科医は、社会を否定することで容
易に患者の正当性を相対化できるので、TVの中でしばしばそんな言動を口にし
て、茶番を演じていたりするわけです。
▼ある社会で、矛盾をかかえながらも簡単に反論できない主張や表現は、絶対
言語とか強制言語と呼ばれます。たとえば「人は平等である」とか、「老人に
やさしくしろ」のように。同じく「うつは病気です」という表現には、社会に
対する絶対言語性を感じませんか。
▼ 「うつは誰でもなりうる病気です」と、「病気で元気が出ずにひどく落ち込
んでいる人をはげましてはいけません」という2つの文脈を約分すると、「誰で
も落ち込むことがありますが、はげましてはいけません」となります。いった
い社会システムの中のどこに、誰にでも発生する落ち込んだ状況を、特別には
げましてはいけない理由があるのでしょうか。
▼他にもうつである人によく使われる表現の論理をたどっていくと、すべては
「うつは病気である」という定義に行き着きます。この定義の行使は、精神科
医のような権威や教主が下すので、判断を下されたら最後、矛盾を持ちながら
誰も逆らえない、絶対言語としての力を発揮します。
▼自称うつ、の人に対して、まわりが遠巻きにして困惑しつつも、なにか嫌~
な印象を持つのは、その人が落ち込んで大変だからではありません。その人が
すがっている医療セクトのようなものが、他の複雑な価値観を排除するような
絶対言語を使って本人を病気であると断定し、他のすべての事柄よりも本人の
安静を優先すべきであるような特別な関係で、うなずき合っている様子が、直
観的にイメージできてしまうから、気持ち悪いのです。
▼ 以上のことから「オレ、実はうつなんだ」と告白された第三者は、大変な迷
惑です。もし告白されたら、どしどしと「がんばれ」「死ぬ気でやれ」「根性
を見せてみろ」などと、わかりやすい表現で、はげましてみてください。これ
らの表現は、ばかばかしいほど内容を伴わないので、聞かされた相手が死ぬこ
とはありません。こんなこと言うと、死ぬぞ、という精神科医の言葉のほう
が、常識的に考えれば、そうとう奇妙な言説ではありませんか。うつの人は、
嫌がらせをされたくなかったら、当面は明るい人を演じて、裏でこっそりビタ
ミン剤などを飲んで、元気をつけましょう。