難病物が感動をもたらす源泉のひとつとして、「生存期間を認知した人格によ る人生への意味づけ」というものがある。自分がいなくなってしまうことへの 肯定である。 しかしジャンル的に未成熟なギャルゲーは、消滅する少女達にその消滅を受け 入れるほどの精神を育ませることが出来ないのだ。しかし、一方で、そのジャ ンル的な未成熟性こそが、ギャルゲーを泣ける物語への担い手にしたとも考え ることは出来はしまいか。 伝統的な蓄積を持つものがたりならば、消滅への肯定をギャルゲーよりもずっ とうまく成し遂げるだろう。だが、そのものがたりが生み出す感動は、“泣き” とは違うもっと爽やかな別種のものである。消滅への肯定は、その人格がいな くなってしまうことの哀惜を払拭してしまうからである。