2005/11/07 (月) 04:39:58        [qwerty]
難病物が感動をもたらす源泉のひとつとして、「生存期間を認知した人格によ
る人生への意味づけ」というものがある。自分がいなくなってしまうことへの
肯定である。

しかしジャンル的に未成熟なギャルゲーは、消滅する少女達にその消滅を受け
入れるほどの精神を育ませることが出来ないのだ。しかし、一方で、そのジャ
ンル的な未成熟性こそが、ギャルゲーを泣ける物語への担い手にしたとも考え
ることは出来はしまいか。

伝統的な蓄積を持つものがたりならば、消滅への肯定をギャルゲーよりもずっ
とうまく成し遂げるだろう。だが、そのものがたりが生み出す感動は、“泣き”
とは違うもっと爽やかな別種のものである。消滅への肯定は、その人格がいな
くなってしまうことの哀惜を払拭してしまうからである。