2005/11/14 (月) 20:43:59 ◆ ▼ ◇ [qwerty] 拝啓。
一つだけ教えてください。困っているのです。
私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存
じないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありま
した。わたしはそのトモヤの次男として生れたのです。青森の中学校を出て、
それから横浜の或る軍需工場の事務員になって、三年勤め、それから軍隊で四
年間暮らし、無条件降伏と同時に生れた土地へ帰って来ましたが、既に家は焼
かれ、父と兄と嫂と三人、その焼跡にあわれな小屋を建てて暮していました。
母は、私の中学四年の時に死んだのです。
さすがに私は、その焼け跡の小さい住宅にもぐり込むのは、父にも兄夫婦に
も気の毒で、父や兄とも相談の上、このAという青森市から二里ほど離れた海
岸の部落の三等郵便局に勤めることになったのです。この郵便局は、死んだ母
の実家で、局長さんは母の兄に当っているのです。ここに勤めてから、もうか
れこれ一箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行く
ような気がして、実に困っているのです。
私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた
時でした。「文体」という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、
それから、あなたの作品を捜して読む癖がついて、いろいろ読んでいるうち
に、あなたが私の中学校の先輩であり、またあなたは中学校時代に青森の寺町
の豊田さんのお宅にいらしたのだと言うことを知り、胸のつぶれる思いをしま
した。呉服屋の豊田さんなら、私の家と同じ町内でしたから、私はよく知って
いるのです。先代の太左衛門さんは、ふとっていらっしゃいましたから、太左
衛門というお名前もよく似合っていましたが、当代の太左衛門さんは、痩せて
そうしてイキでいらっしゃるから、羽左衛門さんとでもお呼びしたいようでし
た。でも、皆さんがいいお方のようですね。こんどの空襲で豊田さんも全焼
し、それに土蔵まで焼け落ちたようで、お気の毒です。私はあなたが、あの豊
田さんのお家にいらした事があるのだという事を知り、よっぽど当代の太左衛
門さんにお願いして紹介状を書いていただき、あなたをおたずねしようかと思
いましたが、小心者ですから、ただそれを空想してみるばかりで、実行の勇気
はありませんでした。
そのうちに私は兵隊になって、千葉県の海岸の防備にまわされ、終戦までた
だもう毎日々々、穴掘りばかりやらされていましたが、それでもたまに半日で
も休暇があると町へ出て、あなたの作品を捜して読みました。そうして、あな
たに手紙を差し上げたくて、ペンを執ってみた事が何度あったか知れません。
けれども、拝啓、と書いて、それから、何と書いていいのやら、別段用事は無
いのだし、それに私はあなたにとってはまるで赤の他人なのだし、ペンを持っ
たままひとりで当惑するばかりなのです。やがて、日本は無条件降伏という事
になり、私も故郷に帰り、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行った
ついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹
災して生まれた土地の金木町に来ているという事を、あなたの作品に依って知
り、再び胸のつぶれる思いが致しました。それでも私は、あなたの御生家に突
然たずねていく勇気は無く、いろいろ考えた末、とにかく手紙を、書きしたた
める事にしたのです。こんどは私も、拝啓、と書いただけで途方に暮れるよう
な事はないのです。なぜなら、これは用事の手紙ですから。しかも火急の用事
です。
教えていただきたい事があるのです。本当に、困っているのです。しかもこ
れは、私ひとりの問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいるひと
があるような気がしますから、私たちのために教えて下さい。横浜の工場にい
た時も、また軍隊にいたときも、あなたに手紙を出したい出したいと思い続
け、いまやっとあなたに手紙を差し上げる、その最初の手紙がこのようなよろ
こびの少ない内容のものになろうとは、まったく、思いも寄らない事でありま
した。
昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、
そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞き
とれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと
壇上に駈けあがって、
「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。し
かし、それは政治上のことだ。われわれ軍人は、あく迄も抗戦を続け、最後に
は皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとより
そのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」
そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽ
た涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ
立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が
吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じまし
た。
死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやに
ひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡
麻粒を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
ああ、その時です。背後の兵舎の方から、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽か
に、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちると
はあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は
憑きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持
ちで、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何も一つも有り
ませんでした。
そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故
郷に帰還しました。
あの、遠くから聞こえてきた幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗に私
からミリタリズムの幻影を剥ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛
らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその
小さい音は、私の脳髄の金的を射貫いてしまったものか、それ以後げんざいま
で続いて、私は実に異様な、忌まわしい癲癇持ちみたいな男になりました。
と言っても決して、兇暴な発作などを起こすというわけではありません。そ
の反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽
かに、トカトントンとあの金槌の音が聞こえて来て、とたんに私はきょろりと
なり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあと
にはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何
ともはかない、ばからしい気持ちになるのです。
さいしょ、私は、この郵便局に来て、さあこれからは、何でも自由に好きな
勉強ができるのだ、まず一つ小説でも書いて、そうしてあなたのところへ送っ
て読んでいただこうと思い、郵便局の仕事のひまひまに、軍隊生活の追憶を書
いてみたのですが、大いに努力して百枚ちかく書きすすめて、いよいよ今明日
のうちに完成だという秋の夕暮、局の仕事もすんで、銭湯へ行き、お湯にあた
たまりながら、今夜これから最後の章を書くにあたり、オネーギンの終章のよ
うな、あんなふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの
「喧嘩噺」式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、
銭湯の高い天井からぶらさがっている裸電球の光を見上げた時、トカトント
ン、と遠くからあの金槌の音が聞えたのです。とたんに、さっと浪がひいて、
私はただ薄暗い湯槽の隅で、じゃぼじゃぼお湯を掻きまわして動いている一個
の裸形の男に過ぎなくなりました。