ついでに蟹の死んだ後、蟹の家庭はどうしたか、それも少し書いて置きたい。 蟹の妻は売笑婦になった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のため か、どちらか未に判然しない。蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、 「飜然と心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしていると云う。こ の蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我をした仲間を引きずり こんだ。クロポトキンが相互扶助論の中に、蟹も同類を劬ると云う実例を引い たのはこの蟹である。次男の蟹は小説家になった。勿論小説家のことだから、 女に惚れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名であるな どと、好い加減な皮肉を並べている。三男の蟹は愚物だったから、蟹よりほか のものになれなかった。それが横這いに歩いていると、握り飯が一つ落ちてい た。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏の先にこの獲物を拾い上げた。す ると高い柿の木の梢に虱を取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はある まい。