水谷修(夜回り先生)に心酔する若い連中が掲示板に居たので投稿してきた 俺の言いたいことなんとなく通じるかな?(´ー`) --------- 俺思うんだけど、「この先生のおかげで更正できました!」だとか 「立ち直れました!」だとか言ってる人は水谷さんが望む形の半分にまでしか達していないと思うよ。 立ち直れたのは水谷さんのおかげでもなく、自分自身の強い気持ちの結果であることをまずハッキリと誇るべき。 自分の過去を振り返って、「俺も昔はこうだったけど水谷さんのおかげで・・・」といった 自分自身の変化に心酔して、いつまでもそこにすがってちゃいけない。 むしろ過去を恥じなさい。いい歳して水谷さんのような人の「施し」を受けていたことを 惨めなことだったと直視するべき。 水谷先生を他人事のように思えてこそ、水谷さんからの「卒業」であり、 水谷さんのお心を汲み取ったと言えるんだと思う。 要するにいつまでも「きっかけ」を求める甘ったれのままでいるんじゃないよ、ってこと。