2005/11/30 (水) 23:34:14        [qwerty]
しかし私は、こんな志賀直哉などのことを書き、かなりの鬱陶しさを
感じている。何故だろうか。彼は所謂よい家庭人であり、程よい財産
もあるようだし、傍に良妻あり、子供は丈夫で父を尊敬しているにち
がいないし、自身は風景よろしきところに住み、戦災に遭ったという
話も聞かぬから、手織りのいい紬(つむぎ)なども着ているだろう、
おまけに自身が肺病とか何とか不吉な病気も持っていないだろうし、
訪問客はみな上品、先生、先生と言って、彼の一言隻句にも感服し、
なごやかな空気が一杯で、近頃、太宰という思い上ったやつが、何や
ら先生に向って言っているようですが、あれはきたならしいやつです
から、相手になさらぬように、(笑声)それなのに、その嫌らしい、
(直哉の曰く、僕にはどうもいい点が見つからないね)その四十歳の
作家が、誇張でなしに、血を吐きながらでも、本流の小説を書こうと
努め、その努力が却(かえ)ってみなに嫌われ、三人の虚弱の幼児を
かかえ、夫婦は心から笑い合ったことがなく、障子の骨も、襖(ふす
ま)のシンも、破れ果てている五十円の貸家に住み、戦災を二度も受
けたおかげで、もともといい着物も着たい男が、短か過ぎるズボンに
下駄ばきの姿で、子供の世話で一杯の女房の代りに、おかずの買物に
出るのである。そうして、この志賀直哉などに抗議したおかげで、自
分のこれまで附き合っていた先輩友人たちと、全部気まずくなってい
るのである。それでも、私は言わなければならない。狸(たぬき)か
狐のにせものが、私の労作に対して「閉口」したなどと言っていい気
持になっておさまっているからだ。