2014/05/25 (日) 18:19:50 ◆ ▼ ◇ [qwerty]https://twitter.com/hazuma
東浩紀 hiroki azuma @hazuma ・ 5月19日(2014年)
明後日に備えてなんとなく書いておこうかと思うのだけど、ぼくは二次創作
文化って限界迎えていると思うのよね。(←ええっw 自分でツッコミ)
二次創作とは基本的に原作(オリジナル)のコピー。しかしコピーであるが
ゆえに原作の作品世界を拡げる/変えられるところに、おもしろさもあった
し批評性もあった。原作との緊張感もあった。それはエロパロだってかわら
ない(エロこそ緊張感があるとも言える)。
二次創作には力があった。70年代から90年代にかけ、日本ではコンテンツの
震源地が徐々に原作から二次創作へと移っていった。そこまではいい。しか
し2000年代以降は二次創作があまりに一般化し、原作との緊張感を失うこと
になる。となると残るは「だれでも表現者になれる幻想」の世界。
むろん「だれでも表現者になれる幻想」も悪いわけではない。ただそれは
「だれでも子どもの運動会はおもしろい、友人の演劇は観に行く、同僚のカ
ラオケは褒める」ていどのものにすぐに堕していくわけで、金儲けには有望
だけどコンテンツの震源地にはならない(カメラは売れるが写真の質は関係
ない)。
この点で、村上裕一やさやわかが「コンテンツの自給自足」状況を高く評価
するのはぼくは同意できない。それは単に「みんな子どもの運動会がいちば
ん楽しいよね!」という状況を肯定しているにすぎず、コンテンツの放棄だ
と思う。ネトウヨとは関係ないが、明後日のトークはこここそ焦点にしたい。
……とかいうことを、大塚英志氏の角川ドワンゴ合併を腐す文章を読んで考
えました。大塚さんが言っているのは、要は、春樹はまだ二次創作の支援者
だったけえれど、歴彦は運動会でカメラ売るビジネスのひとで、だからドワ
ンゴと同じなんだってことですよね。それはまったく正しいと思った。
ちなみに最後につけくわえれば、そんなぼくの娘の運動会が今週末に迫って
ますが、娘3年生にして、コンテンツ重視のぼくはもう運動会には飽きてき
てますw あれに情熱燃やし続けられる親は偉いわ。。
ツイッターやフェイスブックに囲まれているいま、作品を作るのは親戚や友
人に褒められるためではない、というかひとはそもそも親戚や友人と仲良く
できないからこそ作品という時間を超えるものに自分を託すのだ、というあ
たりまえのことを確認したいきもちになっています。
つまりどういうことよ?(;´Д`)