> 2014/05/25 (日) 18:22:22 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> https://twitter.com/hazuma
> 東浩紀 hiroki azuma @hazuma ・ 5月19日(2014年)
> 明後日に備えてなんとなく書いておこうかと思うのだけど、ぼくは二次創作
> 文化って限界迎えていると思うのよね。(←ええっw 自分でツッコミ)
> 二次創作とは基本的に原作(オリジナル)のコピー。しかしコピーであるが
> ゆえに原作の作品世界を拡げる/変えられるところに、おもしろさもあった
> し批評性もあった。原作との緊張感もあった。それはエロパロだってかわら
> ない(エロこそ緊張感があるとも言える)。
> 二次創作には力があった。70年代から90年代にかけ、日本ではコンテンツの
> 震源地が徐々に原作から二次創作へと移っていった。そこまではいい。しか
> し2000年代以降は二次創作があまりに一般化し、原作との緊張感を失うこと
> になる。となると残るは「だれでも表現者になれる幻想」の世界。
> むろん「だれでも表現者になれる幻想」も悪いわけではない。ただそれは
> 「だれでも子どもの運動会はおもしろい、友人の演劇は観に行く、同僚のカ
> ラオケは褒める」ていどのものにすぐに堕していくわけで、金儲けには有望
> だけどコンテンツの震源地にはならない(カメラは売れるが写真の質は関係
> ない)。
> この点で、村上裕一やさやわかが「コンテンツの自給自足」状況を高く評価
> するのはぼくは同意できない。それは単に「みんな子どもの運動会がいちば
> ん楽しいよね!」という状況を肯定しているにすぎず、コンテンツの放棄だ
> と思う。ネトウヨとは関係ないが、明後日のトークはこここそ焦点にしたい。
> ……とかいうことを、大塚英志氏の角川ドワンゴ合併を腐す文章を読んで考
> えました。大塚さんが言っているのは、要は、春樹はまだ二次創作の支援者
> だったけえれど、歴彦は運動会でカメラ売るビジネスのひとで、だからドワ
> ンゴと同じなんだってことですよね。それはまったく正しいと思った。
> ちなみに最後につけくわえれば、そんなぼくの娘の運動会が今週末に迫って
> ますが、娘3年生にして、コンテンツ重視のぼくはもう運動会には飽きてき
> てますw あれに情熱燃やし続けられる親は偉いわ。。
> ツイッターやフェイスブックに囲まれているいま、作品を作るのは親戚や友
> 人に褒められるためではない、というかひとはそもそも親戚や友人と仲良く
> できないからこそ作品という時間を超えるものに自分を託すのだ、というあ
> たりまえのことを確認したいきもちになっています。
>
> つまりどういうことよ?(;´Д`)
娘が俺に似たらブサイクになるだろなって書いてる
参考:2014/05/25(日)18時19分50秒