>  2014/06/03 (火) 23:07:48        [qwerty]
> > 苛められる側には閉じられたコミュニティの中での生存能力が無いだけだよ( '-')ノ
> > 見くびられ蔑まれ忌避される要素を持って生まれたというだけの話
> > しかしだからと言って苛められる側には何ら責任は無い。
> > それらの要素は誰しもが多少なりとも持って生まれてくるのであって
> > その条件が環境によって修飾されたときに初めて“苛められる対象”が生まれる。
> > つまり苛めに対して何らかの強固な罰則が設けられたとしてもその“強固な罰則”
> > を与えられた環境なりの苛めは確実に発生するんだよ( '-')ノ
> > むしろここで必用となってくるのは“苛められる対象”が確実に存在し
> > それは避けようがないという事を一度コミュニティ内で認める事であり
> > その上で“苛められる”という事象に見合うだけの“対価”を規定する事だと考えるよ( '-')ノ
> > つまり“苛められる事によるメリット”をコミュニティシステムの中で構築し、苛めの対象と
> > なった人間をその状況の中でどう生かすかを考えた方がいい。
> > この場合“環境によっては誰しもが苛められる対象になり得る”という理解が不可欠だけど
> 良い話だと思った(;´Д`)
> 思ったけど
> 恣意的にイジメ対象が変えられる社会って恐怖政治と同義じゃないかとの疑念も

論理としてはそうなるね( '-')ノ
ただ恐怖政治にはそれを強いる“権力者”という主体が不可欠であって
その下においてその“権力者”は恐怖を与える対象であるのでそれを免れる。
それがさっきの話とは決定的に異なるところだね。
つまり恐怖政治における“権力者”を“環境”というものに置き換えて考える。
苛めを行う主体はそれぞれが置かれた環境下において自身の立場という力に
抗えずにそれを行うと考えると、それら環境の下においては誰しもが平等に
“苛め”にあう可能性と恐怖から逃れられない( '-')ノ

参考:2014/06/03(火)22時58分36秒