>  2014/08/06 (水) 18:44:31        [qwerty]
> > 小樽はニシンが取れたのだ
> > だから日本で最も富裕層が多かった
> > ところが取り過ぎて10年ほどで全く取れなくなってバブルは終わった
> ニシンってそんなに高級魚なのか(;´Д`)

小樽の初期経済は鰊漁によって基盤が築かれた、と言えるほどそれは重要な産業でした。 
明治から大正にかけて北海道の西海岸(日本海側)の前浜一帯は、鰊の群来(くき)とともに、海は銀色に輝き、
無数のカモメが飛び交い、漁師達は先を競って舟を漕ぎ出しました。

浜は水揚げで活気に満ち溢れていました。 小樽周辺には忍路(オショロ)、高島などの好漁場があり、
漁師達は繁栄をきわめていました。
春先の2~3ヵ月の漁は「一起し千両」といわれ、その鰊漁だけで1年間の生活ができたということです。 
旧青山家は、祝津の網元で小樽から留萌にかけて、いくつもの鰊漁場を経営し、1914年(大正3年)頃には1万石(7500t)以上もの
水揚げがあったということです。 この数字は現在の価格に置き換えると約25億円になります。

このように鰊漁が小樽経済の基盤を築き、やがて「北のウォール街」と呼ばれるほど、多くの都市銀行や商社が軒を連ね、
小樽の穀物相場はロンドンの相場に影響を与えるほどの力を持つようになりました。

参考:2014/08/06(水)18時41分38秒