2005/12/29 (木) 22:05:30        [qwerty]
 近時、いわゆるメイド喫茶と風営法との関係が各所で言及され、実際にメイド喫
茶がこの点につき当局の指導を受ける事態も発生している。しかし、ここからメイ
ド喫茶を一緒くたに「善良な風俗」に触れるものと断定するのは不適切である。
「メイド喫茶」という名は同じでも、その内実は店によって千差万別であり、問題
となっているのがメイド喫茶に共通の要素なのか、それとも個々のサーヴィスであ
るのかは、なお検討を要する。

 そもそも、メイド喫茶というもの自体が、メイドそのものとの関係では重層的な
解釈の産物である。すなわち、個々人がまずメイドについての何らかのイメージを
形成し、更にそれが喫茶店という枠内で変形されて反映される。そして、この2つの
過程では夫々に、個々人の理解や解釈によって多様化される契機を孕んでいる。更
に、その過程ではメイド固有の要素に対して、(それを害さない限りで)付加され
る様々なイメージによって装飾が加えられる。つまり、メイド喫茶は、それ自体と
して多様なメイドのイメージが更に多様化され、しかもメイド固有ではない諸々の
要素を身にまとった、複雑な産物なのである。

 そうであってみれば、メイド喫茶(のみならず、メイドをモチーフとする様々な
事物)について一緒くたに何事かを語ることについては、慎重でなければならな
い。語るべき対象が原型となるメイドのイメージをいかに解釈・変形したものか、
またそれに先立つメイドについての前提的理解はいかなるものか(そしてそれは妥
当か)、を考察し、そのうえで対象がメイドそのものとどの程度密接に関わってい
るのかを測定する手続が、そこでは前置される。これを怠って軽率に「メイド喫
茶」や「メイド」の語を用いて語ることは、かえってこれらの語に過度の負荷をか
け、議論から生産性を奪い去ってしまう。

 「メイドとは何か」という設問は、ここでも、ネガティブな形ではあれ、なお相
応の意義を有する。