> 2005/12/29 (木) 22:12:44 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 近時、いわゆる兄貴喫茶と風営法との関係が各所で言及され、実際に兄貴喫
> > 茶がこの点につき当局の指導を受ける事態も発生している。しかし、ここから兄
> > 貴喫茶を一緒くたに「善良な風俗」に触れるものと断定するのは不適切である。
> > 「兄貴喫茶」という名は同じでも、その内実は店によって千差万別であり、問題
> > となっているのが兄貴喫茶に共通の要素なのか、それとも個々のサーヴィスであ
> > るのかは、なお検討を要する。
> > そもそも、兄貴喫茶というもの自体が、兄貴そのものとの関係では重層的な
> > 解釈の産物である。すなわち、個々人がまず兄貴についての何らかのイメージを
> > 形成し、更にそれが喫茶店という枠内で変形されて反映される。そして、この2つの
> > 過程では夫々に、個々人の理解や解釈によって多様化される契機を孕んでいる。更
> > に、その過程では兄貴固有の要素に対して、(それを害さない限りで)付加され
> > る様々なイメージによって装飾が加えられる。つまり、兄貴喫茶は、それ自体と
> > して多様な兄貴のイメージが更に多様化され、しかも兄貴固有ではない諸々の
> > 要素を身にまとった、複雑な産物なのである。
> > そうであってみれば、兄貴喫茶(のみならず、兄貴をモチーフとする様々な
> > 事物)について一緒くたに何事かを語ることについては、慎重でなければならな
> > い。語るべき対象が原型となる兄貴のイメージをいかに解釈・変形したものか、
> > またそれに先立つ兄貴についての前提的理解はいかなるものか(そしてそれは妥
> > 当か)、を考察し、そのうえで対象が兄貴そのものとどの程度密接に関わってい
> > るのかを測定する手続が、そこでは前置される。これを怠って軽率に「兄貴喫
> > 茶」や「兄貴」の語を用いて語ることは、かえってこれらの語に過度の負荷をか
> > け、議論から生産性を奪い去ってしまう。
> > 「兄貴とは何か」という設問は、ここでも、ネガティブな形ではあれ、なお相
> > 応の意義を有する。
> ほい
参考:2005/12/29(木)22時06分15秒