>  2006/03/30 (木) 03:02:32        [qwerty]
> > キリスト教のなかなか優秀な牧師と話したことあるんだけど
> > 宗教を機能としてみなすという観点は客観性を維持するためには欠かせないけど
> > しかしそれはあくまでその宗教に属していない人間のとるスタンスであって
> > 宗教者である自分はそのスタンスは取れないと話していたよ
> > 信者が信じているものは自分ではなく神でありキリストなので自分自身がその
> > 観点を持ち出すと信者を裏切る事になるし私はキリストにはなれないしその器でもないので
> > そういう意味では様々な矛盾が生じてもそこは盲目にならざるを得ないと言ってた
> > 「見てみぬフリじゃないんすか?(´Д`)」って言ったら
> > 「宗教は道徳ではないのです(´ー`)」とにこやかに言われて
> > ああなるほどなぁと思った
> 禅問答だな(;´Д`)

南泉(なんせん)和尚は、門人らが、ちょうど一匹の猫をめぐって争いあっているところに出くわした。
彼はただちにその猫をつまみ上げると、
「さあ何とか言ってみよ。うまく言えたらこの猫を救うことが出来るが、
出来なければ、この猫を斬り捨ててしまうぞ。」
と言った。
皆は何も言うことが出来なかった。
南泉は仕方なく猫を斬り捨ててしまった。
晩になって、趙州(ちょうしゅう)が戻ってきた。
南泉は昼間の話を趙州にした。
これを聞いた趙州は、草履を脱いで自分の頭にのせて出ていってしまった。
南泉は言った。
「お前があの場にいてくれたら、文句なしに猫を救うことができたものを。」

参考:2006/03/30(木)02時58分58秒