> 2006/03/30 (木) 03:48:54 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > まぁ追試性や客観性といったって、そもそも科学の根本となる帰納法は論理として不十分ですからね
> > ヒュームの批判だとかグルーのパラドクスとか、あります、よね?
> > というか、客観なんてものがこの世界にないことは、「客観的に」明らかですし
> > 現実から科学が生まれる、ですか
> > その現実は科学が作ったもの、と言ったわけですよ
> > 地球が動いてるだとか、そういった、いわゆる現実はですね、所詮科学が作り上げた現実に過ぎないじゃないですか
> > でも科学は、例えば地動説だとか化学モデルだとか物理モデルだとか、
> > そういった科学が作った現実を基盤に現実を作ってるわけじゃあないですか
> > つまり、科学はトートロジーを基盤においている、観察という最も初歩的な
> > 行為ですら帰納法と言った非論理的な推論に頼っている、と、そういうわけですよ
> だから実際やってる人たちはそんな考えかたしてないじゃない
> 地球が動いてるだとかいう見方も視点の取り方に過ぎないとして考えるだろうし
> ほかも似たような感じに見てると思うよ
> 貴殿の言うようなクリアーな見方をしてる人はいないと思うよ
視点の取り方に過ぎない、っていうのは結局相対論的なパラダイム=教説によるものじゃないですかね?
要するに、科学的に見られた現実、例えば心臓が動いてそれが血液を循環させて
と言ったようなモデル、が帰納法に基づいて新たなるモデルを再生産させている
ってことですよ
もし人間に心臓があるということを否定し、空間や時間と言った科学モデルを否定するような人が出てきたとしても、
科学はその人に対してあまりにも没交渉だろうし、あるいはその人を否定し、蔑みすらするだろうということです
参考:2006/03/30(木)03時37分34秒