> 2006/03/30 (木) 04:57:27 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 例えばある人が放射線科学の研究室に入り込んで研究者に向かって、「実は放射線なんてないんですよ、ぼくの体系では」
> > と言って自分の体系を一から説明したとしても彼らはそんなことはどうでもいいと
> > 感じるのではないでしょうか
> > どんな体系であろうと世界をよりよく説明できればその方法は問わない、と感じるような人間は、
> > もちろん多くいることはいるが、それは科学者ではなく、科学者ではない別の人種が
> > 単に世界の実像を知る手段として科学を選んだ、というだけの話であって、彼らは哲学者や文学者や宗教家と
> > 変わるところがないある種の性質を持った人間として区分されるべきじゃあないでしょか
> 本当に全然体系が違うなら放射線という言葉も意味が違ってくるから
> ないんですよと答えるのは当然じゃないのかね
> ないというより対応するものが存在しないと言うだけだと思う
> あくまでも現実を記述しようとしている体系であることを前提するなら
> 目の前にある放射線に当たる何かを含んでいないのはおかしいから
> 仮定としておかしいと思うけれど
> そしてその体系が現在ある体系よりよく現実を説明するとか現実に適合しているとか
> 実験結果にあうとか全く同じ程度に説明するけれどよりシンプルであるというなら
> 拒否する科学者はいないと思うよ
> これは本当に
> もちろんある程度受容に時間はかかるだろうけれど
例えば、Gさんがピサの斜塔から重さの違う物体を落とす実験をし、同時に着地したという結果が得られたとしますよね
それに対して、Uさんが、同時に落ちたのは偶然だ、と主張したとします
次に同じ実験をやったとしても、それも偶然だと主張したとします
Uさんは何度その実験を見せられても偶然だと主張し、Gさんが数式的に正当な証明を示しても、一向に訊かなかったとします
そこれGさんが、「数式まで示されているのになんで否定するのか」と訊いたとします
そこれUさんは「次に落としたとしても同時に落ちる証拠は全くない、数式があっていたのも偶然である」
と言ったとします
さてこれに対してGさんはなんと説明するべきでしょう? あるいはUさんの考えが不当だという根拠はあるのでしょうか?
仮に世界中のあらゆる物理的事象とそれに対応する数式が偶然一致したに過ぎない、と主張がされたとしても
その主張を拒否する根拠は何一つ持ってないんじゃないでしょうか?ただ、経験的にそこまで偶然が続くのはおかしい、
と感じることを根拠にしているからに過ぎないんじゃないでしょうか?
しかし多くの科学者は、そのことを指摘されたとしてもおそらく興味はわかないんじゃないでしょうか?
それが現実というものに最も深く関る部分であるのに、です
もしほとんどの科学者が真に真実を探求しているというのなら、まずはその問題についての研究からはじめてるんじゃなkでしょうか?
参考:2006/03/30(木)04時22分33秒