> 2006/03/30 (木) 05:32:06 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 例えば、Gさんがピサの斜塔から重さの違う物体を落とす実験をし、同時に着地したという結果が得られたとしますよね
> > それに対して、Uさんが、同時に落ちたのは偶然だ、と主張したとします
> > 次に同じ実験をやったとしても、それも偶然だと主張したとします
> > Uさんは何度その実験を見せられても偶然だと主張し、Gさんが数式的に正当な証明を示しても、一向に訊かなかったとします
> > そこれGさんが、「数式まで示されているのになんで否定するのか」と訊いたとします
> > そこれUさんは「次に落としたとしても同時に落ちる証拠は全くない、数式があっていたのも偶然である」
> > と言ったとします
> > さてこれに対してGさんはなんと説明するべきでしょう? あるいはUさんの考えが不当だという根拠はあるのでしょうか?
> > 仮に世界中のあらゆる物理的事象とそれに対応する数式が偶然一致したに過ぎない、と主張がされたとしても
> > その主張を拒否する根拠は何一つ持ってないんじゃないでしょうか?ただ、経験的にそこまで偶然が続くのはおかしい、
> > と感じることを根拠にしているからに過ぎないんじゃないでしょうか?
> > しかし多くの科学者は、そのことを指摘されたとしてもおそらく興味はわかないんじゃないでしょうか?
> > それが現実というものに最も深く関る部分であるのに、です
> > もしほとんどの科学者が真に真実を探求しているというのなら、まずはその問題についての研究からはじめてるんじゃなkでしょうか?
> 数式的に妥当な証明というのは変な気がするがいいよ
> どうやったら同時かそうではないか検証するような方法を
> 双方納得できるような形で検討するのが科学じゃないかい
> まず考えなければいけないのは何を目的としてこの実験が行われたかだろ
> 同時に着いたことによって重い物が先に落ちることが否定されたわけだ
> ピサの斜塔は当時わかりやすかろう実験だから行われたのであって
> それで納得しない人がいたならばもっと適切な実験を設けるのが当然
> もっと差がつきやすい実験にすることや
> さっきのIGPXであったゴールの判定みたいに測定方法をより精密にするといい
> そしてそれが妥当なものかどうか双方納得するまで考える
> Uさんは当然偶然に過ぎないことを示す実験をする必要がある
> だから貴殿が言っている例はかなり的外れだよ
> あえて言えばGさんもUさんも実験の先に進まなかったからどちらも不当
> また世界中のあらゆる物理的事象とそれに対応する数式が一致したら
> それはその時点では正しそうだと科学者は判断する
> でも偶然かもしれないと一応譲歩して考える
> そして実験を繰り返すのが科学者の立場といっていいと思う
> 貴殿はピサの斜塔の実験一回だけで終わってしまうようなものを
> 科学だと勘違いしているだけだと思うよ
> 継続的に実験を繰り返し合意を求めてゆくプロセスを無視している
> そこを含めれば現実というものに深く関わる部分もある程度は満たされるのではないかな
> それ以降の箇所は物理的事象についての話ではないから
> 今回の話題とはあまり関係ないと思うよ
> 物理的事象が理論と適合するかどうかの話だからね
いや、Uさんは別にGさんを納得させようとは思ってないのです
ただGさんの話に納得しない、単に偶然だと思ってるしそれは自分が今存在していることと同様に自明なことだと思ってる
だからGさんがどんな実験をしどれほど正確な数字を出そうとUさんにとっては納得するそれは全て偶然一致しただけなんです
それに対し、科学者はどのような説得の術を持っているのでしょうか?
また、「その時点で正しそうだと科学者は判断する」とあるのですが、それの根拠は一体なんでしょう?
要するにそれは全く恣意的なものにすぎないのじゃないか、ということです
そして、これが主旨なのですが、科学の言うところの物理的事象という現実や、現実と理論が適応する、
だとかということは、現実に忠実に即しているようで、実は自分たちで作り上げたモデルに
基づいて作り上げたものに過ぎないんじゃないか、ということなんです
参考:2006/03/30(木)05時20分11秒