>  2006/03/30 (木) 05:56:08        [qwerty]
> > それは前提がちょっと変じゃない?(;´Д`)
> > Uは論証を示さなくても意味の無く真実を言い当ててると思い込んでる事になるし
> > Gは立証責任を果たそうとしたから否定される事になるよ
> > 単純に言ってGとUを入れ換えても同じ事が言えちゃうよ
> いやそれは単に議論の倫理の話じゃないですか?
> そうではなく、要はどうすればUさんが同時に落ちるのが真実だと思えるか、ということです
> 火を近づければ熱いと感じるように、同時に落ちるのが真実だ、と思わせることなどできるのか、ということなのです

いやだからさ(;´Д`)その議論の論理っていうのを否定するじゃん
そうするとGとUで論証の根本的な概念が違うから
永遠同じ事を繰り返すだけになるんだよ
事実ユングやフロイト時代がそうだったんだから
同じ重さの物体の落下速度は同じである
ってのは数々の立証のために行われた実験において
偶然がおきて誤った事実が流布されたって事になるよね?
じゃあなんで五分後から宇宙が消滅するまでずっと
火に近付いたら冷たく感じるようになる可能性があるとUは思わないの?
ちょっと投稿を拝借すると

いや、Gさんは別にUさんを納得させようとは思ってないのです
ただUさんの話に納得しない、立証が偶然ではないと思ってるし自分が今存在していることと同様に自明なことだと思ってる
だからUさんがどんな否定的な言葉を並べてもGさんにとっては正確な立証を行ったと思ってる
それに対し、哲学者(例え話ね)はどのような説得の術を持っているのでしょうか?
また、学術的な論証能力を否定する、その根拠は一体なんでしょう?
要するにそれは全く恣意的なものにすぎないのじゃないか、ということです

こう書けばGとUが堂々巡りになる理由が分かると思うけどどうか(;´Д`)

参考:2006/03/30(木)05時44分50秒