> 2006/03/30 (木) 06:35:14 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 何度も言っていますが、主旨は科学の非合理性です
> > モデルが恣意的ということではなく、正しそうだと考えたこと、それが恣意的だと言うことです
> > もし正しそうだと考える根拠が習慣以上のものではなく、
> > 現実と理論の適合が帰納法以上のもので証明できないのならば、
> > Gさんが同時に落ちると考えるのもUさんが偶然だと考えるのも
> > どちらも同じくらいの正当性しか持っていない、と言うことになります
> > また、Uさんは別にこの論争に興味はないのですから自ら実験をして相手に示す必要も
> > 合意の基準を設定する必要もありません
> > Uさんは科学者ではないので、偶然と言うのも常識的に必然の否定と言った程度で十分でしょう
> 「どちらも同じくらいの正当性しか持っていない、と言うことになります」
> についてGさんは(元の投稿で言うところの)帰納法的な立証が論拠になる
> と思ってるからそれはGさんは否定する訳じゃない?
> だけどGさんが自分の正しさを主張するため論証を行ってくれって事になると
> Uさんはまた
> 「別にこの論争に興味はないのですから自ら実験をして相手に示す必要も合意の基準を設定する必要もありません」
> ってのは(元の投稿で言うところの)帰納法的な論証では
> 単に論拠がないから示せないだけって事になるんだよ
> (それは実際には立証を行うだけの論証能力があったとしてもそう)
> だから「主旨は科学の非合理性です」ってのがGさんにとっては全く理解できないんだよ
> だけどそれを話題に出すとUさんは“議論に興味がないので”それについて
> 合理性を示すことはしないって事になるじゃん
> それじゃあGさんはUさんの主張を「正しそうだと考えたこと」って考えるしかなくなるんだよ
> どこに主観を置くかで主張が反対の意味になるわけで
> それを否定するためにはUさんが根拠を示せば良いんだけど
> Uさんは「論争に興味がない」って理由で「科学の非合理性」を示す事をしないから
> Gさんにとって前提条件が変だって事になる
科学の非合理性というのはUさんの主張ではなくメタな主張ですので・・・
もし誰かがGさんに対して非合理性を主張することに責任があるのだとしたら私になるでしょう
そしてそれはグルーのパラドクスを示すことや、あるいは帰納法の正当性を
開陳することを要請するだけですむことと思います
しかしこう言ったことは重要ではないでしょう
議論のルールの話ではなく、認識の話なのです
参考:2006/03/30(木)06時16分04秒