>  2006/03/30 (木) 06:54:09        [qwerty]
> > 何度も言っていますが、主旨は科学の非合理性です
> > モデルが恣意的ということではなく、正しそうだと考えたこと、それが恣意的だと言うことです
> > もし正しそうだと考える根拠が習慣以上のものではなく、
> > 現実と理論の適合が帰納法以上のもので証明できないのならば、
> > Gさんが同時に落ちると考えるのもUさんが偶然だと考えるのも
> > どちらも同じくらいの正当性しか持っていない、と言うことになります
> > また、Uさんは別にこの論争に興味はないのですから自ら実験をして相手に示す必要も
> > 合意の基準を設定する必要もありません
> > Uさんは科学者ではないので、偶然と言うのも常識的に必然の否定と言った程度で十分でしょう
> 話題は宗教と科学の比較だったと思ったが違ったのかね?
> だとしたら仕切り直しが必要だと思うよ
> 貴殿はさっきから話題を横滑りさせているだけにしか漏れには見えない
> 非合理性を指摘したいならばそれに十分に適した例を提示するべきだし
> それを主題にちゃ んとまとめて書くべきだ
> さっきから宗教の比較をしてみたり納得しないだけの人を出してみたり
> 適当に書き散らしているだけにしか見えないよ(;´Д`)
> 正しそうだと考えたこと自体が恣意的といわれても困る
> さっき貴殿は正しいと見ていることが恣意的であると主張して
> それが否定されたら今度は究極的に正しいと科学者が見ているわけではないと
> いうこと自体が恣意的という
> それでは貴殿はどういう状態を恣意的ではないと見なすのかを提示する必要がある
> さっきから恣意的の用法が随分変わっているように見えるんだ
> もしも違うなら納得できるようにどうならば恣意的ではないのか書いて欲しい
> また正しそうだと考えることが習慣以上のものではなくといっても
> 実験によってそれが矯正されてゆく以上単純に人間が恣意的に決めているとはいい難い
> 実験自体が習慣の一環となっているから
> 敢えて言うならば部分的に人間の恣意性が影響しているという程度
> 現実と理論の適合が帰納法以上のもので証明できないというならばというが
> ならば帰納法以外の証明方法をここで貴殿が提示する必要がある
> それも現実に理論が適合するかどうかを示すことが出来る方法で
> 帰納法以外のものがあることを示す必要がある
> そうでないならば帰納法を用いるのが最も合理的な理論と現実のすりあわせのはず
> 可能な限り正しそうなことを追求してゆくことが科学だよ
> 単に信じていない人が存在するだけならばそれは仕方がないでしょう
> でも彼は偶然であることを示さないならば
> 今回の話題には関係ないとしかいえないのではないかい
> 双方が事実はどうであるのか検証し合おうとしてゆくのが事実と理論のすりあわせなのだから
> この実験がうそや偶然とUさんがいうならば彼の主張は
> 重さが落ちる速度に関係あるということを主張していることになるけれど
> この実験ならば結果がバラけることを示せば済むだけなのに
> そして事実であるならば同時よりはるかに容易に示すことが出来るはずなのに
> Uさんが何もしないでいるだけなのは余りにも話題とかけ離れすぎていると思うよ

やはり議論の形式にこだわってますね
これは「Uさんは示す必要がある」だとか言う話では全くありません
帰納法に正当性がないのだから、それを基盤とするGさん、引いては科学にも根拠はない、ということです
「実験によって強制されてゆく以上」と言いますが、なぜ矯正されると考えられるのでしょうか?
もし矯正されているとしたら、それは、今まで自分が考えていた理論がその実験が行われるまでは正しかったのか否か、
ということであって、その理論が正しいかどうかなんてことは全く言えないのではないでしょうか?

参考:2006/03/30(木)06時30分20秒